呼んでいる胸のどこか奥で

2016年から奇跡講座を学んでいます。デイビッドはDavid Hoffmeister氏で、ワプニック博士はKenneth Wapnick博士てす。MWGEはコース学習者のための映画紹介サイトhttps://mwge.org/ です。

無価値感のトリガー

https://youtu.be/bt16CwIMpHE

この動画の23:14秒で、アール氏が、ゲーム配信をしながら、

「すごいよなぁ、こんな中でも、外で働いてる人がいるんだよなぁ」

と言った瞬間、心に強い痛みを感じて、恥、痛々しさ、

目を逸らしたくなる感じ、逃げたくなる感じ、を感じた。

でも逆に、よく感覚を見つめると、

「今も寒い中、外で働いてる、たぶん交通整理とかの、

『偉くて素晴らしい、賞賛に値する人たち』がいて、

彼らは過酷な環境で自分を犠牲にして、キツくても、

滅私奉公で働いてるのに、苦労してるのに、

自分は、毎日家という比較的安全圏、

カンフォートゾーンど真ん中にいて、

幸せを享受してるから、自分は情け無い、働いた経験もない、

認めてもらえない、あまり賞賛や承認に値しない」という、

強烈な罪悪感まではいかずとも、

ステータスによる、比較思考と劣等感、無価値感だった。

Youtubeの勉強会動画以外では、

のりこさんたちの勉強会を一か月分しか見れてないにもかかわらず、

ブログの記事だけ、200を超えてしまった自分。

「勉強会を見れてない自分は、見れてる人に比べて、

進歩してないからダメ」という比較。

昨日、ももこさんに、働いて金を稼いだことがない自分に、

引け目を感じていました、と打ち明けると、

働いて金を稼いだら稼いだで、それをプライドに使うこともあり得る、

と言ってもらえた。

たしかに、働いたら働いたで、

「苦労して、自分を犠牲にして、社会や他人に貢献している、

自分で金を稼いでる俺は、働いて貢献もしてない連中より、

偉いんだよ」というプライドを得て、自分の存在価値、

「俺は世間に胸を張れる感」を得る自分は、容易に想像がつく。

つまり、仕事やファンクションを、存在価値を稼いで、

劣等感から自分を救う手段にする自分が。

逆に、働いてない自分のほうが上、みたいなプライドもあった。

のりこさんたちの撮影合宿も、

「合宿に参加できた人はより進歩してて、献身もできるから

呼ばれた、比較的、エリートみたいな、選ばれた人たち」

みたいな感覚を感じていた。

またも比較。

アール氏の発言がきっかけで、自分の中の、

「ファンクションとかで働く人は偉くて、働けない自分は、ダメ」

という、

比較思考をトリガーしてもらえた形か。

ジェニーさんが、デイビッドのコミュニティに住んで、

平日にみんなでのんびり映画を見て、自分の信念に触れる、

というリトリートをやっていたとき、

「平日の今頃、自分だけのんびり、ずっと映画見てていいのか?」

という居心地の悪さ、

Constructive(建設的)じゃない、ただ幸せを享受してるような自分に、

罪悪感を感じた、と言ってた。

まさに同じだ。

他人の仕事だけど、ゲーム配信はほかの仕事に比べて、価値が低い、

序列が低い、という比較思考もあったかもしれない。

マトリックスみたいな仮想の世界に過ぎないとしたら、

そういう序列はないことになる。