呼んでいる胸のどこか奥で

2016年から奇跡講座を学んでいます。

祖母への罪悪感と、バイロンケイティのワークと

https://ameblo.jp/1grandemaison/entry-12703943696.html

ようこさんの記事を読んで、自分も、母や祖母への、

罪悪感があることを思い出した。

自分は祖母にとっては、初孫なので、祖母からは、かわいがられた。

いらないからと言っても、こっそり、お小遣いを渡してきていた。

漫画が買えるから、ありがたくもあった。

祖母に会いに行ってないこと、連絡していないこと。

祖母の不幸には、自分が責任ある、という考え。

祖母は、幸せかもしれないのに。他者憐憫。16章の、偽りの共感。

デイビッドが、だれかと連絡を取ったり、集まりに参加できないのが

罪悪感の原因だと、いつも人は考えるけど、その場合、

肉体の行動レベルに解決を求めることになる、

それは、罪悪感を、肉体レベルに関連づけていることになる、

と言っていた。

真の訂正は、やはり、心のレベル、目的や考えのレベルか。

マニュアルのどこかに、兄弟への責任を感じながら、罪悪感から自由でいられるだろうか、とあったな。

のりこさんが、

「自分はひどい加害者だとか、みじめな被害者だ、という悲劇のヒロインゲームを、世界のレベルに薄めて、わたしたちは日常でやっている」

と言ってたけど、本当にそうだな、と、気づけた。

以下ワーク。

https://thework.com/wp-content/uploads/2018/02/Japanese_LB.pdf

わたしは、罪悪感を感じている。

なぜなら、わたしが連絡したり、

会いに行かないんで、祖母は寂しいだろうから。


1それは本当ですか?

はい。

2本当に真実だと断言できますか?

厳密には、いいえ。

祖母の家には、しょっちゅう、友達の女性たちが集まっていたので、

それほど、寂しくはないかもしれない。

叔母や、いとこもいるし。

3その考えを信じるとき、どのように感じますか。

罪悪感を感じる。

4その考えがなければ、どのように感じますか。

自由だろう。


以下、置き換え

わたしは、寂しい思いをしている。

なぜなら、祖母に会いに行ったり、連絡しないから。

この考えも、もとの考えと同じくらい、本当であると言えますか?

たしかに。

祖母に会いたいと思い、寂しいと思っているのは、

むしろ自分かも知れない。

祖母に会いに行きたくない理由は、

祖母は、「働いて、結婚して、子どもを作り、家や車を所有する」

のが、男としての正しい人生であり、そのレール、定義に外れる、

普通に働いて給料をもらわない人間は、ダメ人間だ、と信じこんでいて、

必死に、自分をコントロールしようとするから。

そこで、自分が、

「祖母は、孫を、焼け野原から立ち直った、古い戦後の日本の価値観で、

コントロールしようとすべきじゃない、

それは愛じゃなくて、恐怖に基づく強迫観念的なコントロールだから」

という思考を、自分が持っていたのに気づいた。

しかしこの、「あの人は、オレをコントロールすべきじゃない、

オレが、嫌な気分になるから」

という思考自体、恐怖に基づく、強迫観念的なコントロールだ。

祖母の思考や言動が、自分を不快にしたり、動揺させられると信じてる。

だから、祖母から、自分を守らざるを得なくなる。

祖母と自分は、お互いに、「あなたは、こうすべき、べきじゃない」

と、心のレベルで、言い合っているんじゃないか。

今ここで、祖母との、関わりを、違う見方でみるのが、答えなんじゃないか。