呼んでいる胸のどこか奥で

2016年から奇跡講座を学んでいます。デイビッドはDavid Hoffmeister氏で、ワプニック博士はKenneth Wapnick博士てす。MWGEはコース学習者のための映画紹介サイトhttps://mwge.org/ です。

JennyさんとMatthewさんとのZoomと、ファンクションへの抵抗

前に、Jennyさんhttps://www.jennymaria.org/acim-spiritual-guidance/

からコールしましょうと言われて、怖くなったことを書いたけど、

ちょっと前にJennyさんからZoomのコールが夜に実際にきて、

「やばい、マジでコールが来ちゃったよ!」とかなり焦り、緊張した。

単語がCallだからてっきり電話するのかと思いこんでいたら、

Zoomのコールで、自分のカメラをオフにする操作がわからず、

PCにまだzoomを入れてなかったので、

カバーが壊れてカメラが隠れたスマホで、

自分の顔が右上の4分の1しか映らない状態で、

スペインのJennyさんとMattewさんと話した。

今考えたら、海外の人と直接話すのは、大学以来7年ぶりで、

しかもギャザリング動画とかでよくデイビッドの

隣にいるのを見てるJennyさんだから、かなり緊張してしまい、

まともに英語の文章を作って話すという作業ができなくなった。

Jennyさんたちの動画を見て、この動画の翻訳がしたい、

ブログで書いたりしたい、と強く感じて、

Jennyさんにメールしたはいいものの、

いざやるとなると、何か、自分がファンクションに飲み込まれるような、

これ以上入ったら、これ以上関わったら、

これから先はもう後戻りはできないよ、

というデッドラインに直面したようで、

どこからともなく、崖際に立たされたような、

かなり強烈な恐怖と抵抗感を感じた。

これ以上進んだら、マジで自分は、

「そっち側」の世界、目的に献身して進むことに巻き込まれていく、

みたいな感じがした。

デイビッドは、コミットメントへの恐怖と言っていた。

後戻りできなくなるとか、犠牲への恐怖という感じか。

こういうことを、上手に英語で話すことはできなかったから、

「意欲は強く感じたものの、翻訳に抵抗感や強いストレスを感じていて、

正直、翻訳できてない、」と情けなさを感じながらも、

単純な英語でJennyさんに伝えると、

「じゃあ、無理に自分をPushしなくていいですよ。」

と言ってもらえて、ほっとした。

どこに住んでいるの?あなたが住んでいる場所は寒いの?という、

大人と子供みたいな、優しい会話をした。

Jennyさんは、本当に優しかった。

Jennyさんのサイトを見たら、

自分はJennyさんの息子さんと同い年だった。

自分が海外の2歳児くらいの英語しか話せず、

しかも自分から申し出ておいてファンクションもできないという状況に、

かなり情けなさ、みっともなさを感じた。

これじゃ日本人の恥だな、みたいな。今思えば、罪悪感か。

学生の頃、英語を正確に読むのがある程度得意で、

高校でも大学でも、教師に褒められてた。

かなり認めてもらえてた、という自負、

プライドがあったにもかかわらず、

いざとなると、

うまく言葉も話せない幼児同然で、自分の価値や「デキる人間感」

を証明する手段も全くなく、かなり自分はダメなやつ感が出てきた。

Zoomが終わった後、

単純にJennyさんたちと話せた嬉しさはあったものの、

ひたすら、Jennyさんに自分のカッコ悪いところを見せただけだった、

ハァー情けない、という「やってしまった感」が強く残った。

「I Married Mystic」に、

カースティンさんがマウンテンバイクで事故をして手足を骨折し、

自分では何もできなくなり、自分で自分の面倒を見られる、

というプライドに直面して手放すことになった、とあったけど、

そんな感じだった。

「デキる自分」「カッコよく英語ができる自分」

「周囲に胸を張れる、能力とかで価値を証明して誇れる、

引け目を感じない自分」でありたい、という自己概念への、

執着に直面する機会だったのかな。

ありがたかった。