呼んでいる胸のどこか奥で

2016年から奇跡講座を学んでいます。

父の変な体験とジュディの奇跡

合宿でのりこさんが

「例えば家族の病気とかも、

知覚の中に固定された何かが厳然としてあるわけじゃない。

それはいつ思いも寄らない変化したり消えたりしてもおかしくない」

という感じの言葉で思い出したこと。

しばらく前に

居間のテレビで幽霊屋敷を映すような番組をやっていて

母が「こんなのいるわけないよね」

みたいなことを言った時、

父は「いや、俺は信じる」

と言った。

自分も少し驚いたけど、

母は「え?お父さんそういうの信じてないって言っとったやん」

と言った。

父は超能力とかUFOは信じるけど

チャネリングとか霊関係は拒絶するタイプだ。

父は「俺が20代の新採の時、

夜の道を車で走っていたら

道路脇にある標識の金属の柱が突然横にグニャッと曲がった。

あまりにありえない角度で曲がったから、

柱の根本が緩んでいるのか柱が老朽化しているのか

車を降りて確かめに行ったら、

標識はなんともなくまっすぐで

柱の根本に交通事故の後に置かれる

花束があった。

何かのメッセージかと思ったけど全身がゾワっとしてめちゃくちゃ怖かった」

という話をした。

確かにこの話は子どもの頃に何度も聞いていたけど

忘れていた。

父は心霊系嫌いで無神論者で合理主義を自認していて、

そういう体験を普段から話すタイプじゃない。

酒は飲んでいなかったらしい。

むしろ父はアズカバンの囚人のハーマイオニーとか

ヘレンシャックマンみたいに「科学的じゃないものは嘘」

という態度だったから、

UFO目撃事件とか標識グニャリ事件に遭遇させられたのかもしれない。

交通ルールを象徴する標識がグニャリと曲がるのは

のりこさんが言っていた

「知覚の世界が確かな厳然たる現実なんだ」

という疑いようもないルールというか前提が崩壊するシンボルに見えた。

 

あとMiraclevoice というPodcastYouTube の番組で

ジュディスカッチさんが言っていたのを思い出した。

ビルと2人の医学の博士だか教授とアパートの部屋で

コースについて話し合っていた時、

ジュディは料理ができたから

料理を任せられたけど

「何で私だけ料理させられて

コースの話し合いに参加できないの?」

と不満を感じていた時、

揚げ物料理の高熱の油がこぼれて

ジュディの左腕前部にかなりたくさんかかってしまい、

左腕を大きくヤケドしたジュディが大声で叫ぶと

居間で話し合いをしていたドクター2人が

飛んできて、

「これはステージいくつの深刻なヤケドだから、

すぐに救急車を呼んでくる」と言って

部屋の外に出た時、

ビルが痛みでパニックのジュディの手を握って

「準備はいいかい?」と穏やかに話しかけて

目を瞑った。

ジュディもビルの穏やかさを感じて少し冷静になって

目を瞑った。

目を開けるとジュディのヤケドと痛みが完全に消えていて、

戻ってきたドクターたちはヤケドが跡形もなく消えているのを

見て強いショックを受けて気持ち悪がり、

すぐに帰ったという話だった。

テキストに魔術に頼らない突然の

癒しは恐怖を増す場合があるとあったけど、

デイヴィッドの映画リトリートの

ラプンツェルhttps://youtu.be/8FM9c7lyHuMでも、

ラプンツェルの髪の奇跡で傷が突然癒された時に

フリンが気持ち悪がるシーンがあった。

https://youtu.be/0LXhrHGfdBk

コジコジ

f:id:ratchet0512:20220629112532j:imagef:id:ratchet0512:20220629113941j:image

 

のりこさんが言っていた、

「本当はマシにならなきゃと思って

マシになる必要はない。

わたしたちはマシになれない」という言葉。

何か心が緩むというか、

安心させてくれるものを感じた。

マシになろうとして何かやるのは、キツいし疲れる。

絵の練習がそうだった。

ストレスとプレッシャー。

========

ちびまる子ちゃんの作者のさくらももこさん

の作品で「コジコジ」という不思議なメルヘンの国を舞台にした

漫画があって、

キャラクターはかわいい妖精とか妖怪みたいな感じ。

その国では「メルヘンの国に住む不思議な住人たちの子どもが通う学校」

がある。

その学校にコジコジというかわいい天然でボーっとした妖精が

入学してくるんだけど、

コジコジは学校の先生が信じている

「わたしたちは自分を磨いて向上させて、

ミッ◯ーマウスみたいに人気キャラクターになるべき。

わたしたちは今のままでは無価値だから、

自分に価値をプラスするために懸命に努力すべき」

という堅い信念を痛快に否定する。

デイビッドの本にも、

「自分を磨こう向上させようなんてどうでもいい」って書いてた。

「役に立つなんてどうでもいいよ。

毎日好きなことして幸せに生きてるだけだよ」

コジコジはまるでデイビッドみたいだ。

その後でそのコジコジの言葉を聞いた次郎くんが

母にその言葉を言うと

「バカ言ってんじゃないよ!」と

母に殴られるのがこの話のオチだけど、

それでも構わず貫き通した人はデイビッドなんだ

と思った。

デイビッドも大学を辞めたときに

両親にさんざんに言われたと言っていた。

 

そういえば京都にいた頃、

さくらももこさんの展覧会があったから見に行った。

そこにはちびまる子ちゃんの雑誌掲載された

第一話の原稿があって、

正直上手い絵ではなく、

むしろ子どもの書いた絵日記という感じだったのに驚いた。

どう見ても上手い絵じゃないのに連載が決まったということ、

絵は上手く書いてナンボと思ってたから、

これが人気になったことが驚きだった。

コジコジもだけど、内容の良さがあるからなのか。

さくらさんのカラーの絵は、

色彩がとてもカラフルで暖かかった。

 

 

 

藤木くんと自己嫌悪

小学生の頃見ていたちびまる子ちゃん

キャラクターの性格が妙にリアルで

何人かのキャラクターに嫌悪感や痛々しさを感じていた。

藤木くんが出てくる時が

かなり不快で嫌な瞬間だった。

藤木くんは臆病でハッキリ気持ちを言えない。

いつもビクビクと怯えている。

他人の顔色を伺ってばかりで、

しかも微妙に自己保身したがるというかずるく、陰湿。

極端に悪いことはしないしある意味大人しく見えるけど、

まさに小学生の頃の自分そのもので、

自分の弱さ・卑小さを戯画化されているような感じだった。

授業中だけは張り切っていたから

ハリポタのハーマイオニーみたいにやたら目立ちたがる丸尾くんにも

痛々しさがあった。

サッカー部の

大野くんという勇敢で強くカッコいい男の子がいたけど、

まさに自分と逆の理想を見せられるような感じで

劣等感だった。

その時、クラスにサッカーが得意で

見た目も性格もカッコいいタイプの男の子がいて、

しかもその子が好きな女の子と幼馴染だったから、

それの劣等感もあった。

藤木くんだけじゃなくて、

気が弱くて陰湿な感じがするキャラクターは

男であれば誰でも嫌悪感を感じる。

実際の人間でも、

臆病さを感じる人には嫌悪感がある。

何か微妙に陰湿というかズルいというか。

自分だけ安全地帯にいようとする感じ。

まさに自己嫌悪なんだけど。

 

加害妄想?

のりこさんとラファエルが

用事で普段通らない狭い道に車で行き、

通行人の邪魔というか迷惑になっている

罪悪感を若干感じていたと話してくれた時、

ありがたいと感じた。

自分も散歩しているときボタン式の横断歩道を通ると、

ドライバーの人は一旦車を止めないといけないので

イラつくだろうとか面倒くさいだろうとか

微妙に犠牲を払わせる罪悪感を感じていたから、

ラファエルたちもそう感じることがあるというのは

何か安心というか、

自分だけじゃないのか、

みたいな暖かい感じがした。

「肉体の想念を深刻に信じているなら、

わたしたちは100%罪悪感を感じるます」

とデイビッドが言っていたけど、

肉体はつまり疲れとか苦痛とかいろいろな犠牲だから、

必然的に罪悪感を感じるのかな。

被害妄想

10日くらい前、

倉庫の粗大ゴミを業者の人に引き取ってもらうことになり、

キッチン横の倉庫で業者の人が昼ごろに作業していた。

作業後、

リビングに黒いアシナガバチみたいな虫(刺さないから蜂ではない?)

みたいな虫が入り込んでいて動揺した。

子どもの頃から見慣れていて、

たぶん刺さないとはいえ蜂っぽいサイズと見た目なので、

嫌悪感と怖さ、脅威を感じた。

普段は入り込まないのに変だなと思っていると

キッチン横の倉庫の引き戸が片方なくなっているのに

気づいて、

瞬間的に怒りを感じた。

「あいつが犯人か!」みたいな怒り。

「なぜか業者の人が引き戸を片方持っていった。

そのせいでアシナガバチが入り込んでいる。

業者がなぜか引き戸を取ったせいで、

自分たちが無防備になってしまって、

実際ハチみたいな虫が入ってしまってる」

という風に知覚して怒りを感じた。

その後母に話を聞くと

強風で引き戸を片方吹き飛ばされて、

引き戸のガラスが割れたので

引き取ってもらったという事情がわかり、

アシナガバチは引き戸に関係なかった。

またしても勝手な解釈だった。

業者の人に「あいつがやったのか!」と罪を見ていた。

昔からこういう被害妄想というか

妄想的な解釈はあったはずだけど

前は全然意識してなかった。

最近は自分が常に状況を勘違いしたり

妄想で誰かに勝手なイメージを持っていたり、

自分は間違った解釈に基づいた妄想フィルターの中でしか生きて

ないのが意識されてきたのか

それを感じるのが増えた。

 

『Just like heaven』

https://youtu.be/4wK82VPy0Go デイヴィッドの解説。

主人公はエリザベスという若い女性の研修医で、

正式採用されたドクターになりたいという願望をモチベーションにして

毎日忙しく働いている。

院長に認められるため、

毎日患者を相手に忙しく働くあまり、

自分の体調を無視して忙しく働いている。

男性の研修医と正式採用の座を競っている。

エリザベスは女性だし

自分にはできない生き方だからあまり感情移入はなかった。

むしろ、もう1人の主人公のデイヴィッドという

妻を脳卒中で亡くして絶望し、自暴自棄になっている男性のほうが

感情移入できた。

希望を失って毎日酒ばかり飲んでいると、

事故で死んだはずのエリザベスの霊体が

デイヴィッドの部屋に来て、

エリザベスとデイヴィッドの関係が始まる。

デイヴィッドの過去以外はシリアスな感じもなくコメディ調で

ハッピーエンドでリラックスして見られた。

あまり深刻な映画じゃないし、強く感情移入するわけでもなかったけど、

最後のシーンで自分でもなぜか不思議に込み上げてくるものがあり

泣いてしまった。

ベターだけど、

本当の喜び、愛を見つけた真の喜びにデイヴィッドとエリザベスが

やっとたどり着いた、みたいな強い感動があった。

デイビッド(ホフマイスターのほう)の、

自分が行為者として治療で肉体の命を救えると考えてプライドを持つなら

逆に失敗して命を失う恐怖や罪悪感もついてくる、

という言葉が印象に残った。

内村航平が金メダルを取った時はとても幸せそうで、

逆に吊り革で演技を失敗した時は強い罪悪感を感じていたのを思い出した。

 

エクスプレッションの目的

のりこさんも話していたけど、

エクスプレスするだけの段階もあるけど

いずれ深く見ていくためのステップという話。

 

https://youtu.be/fKBB8V-gaIY

ラバーンさん自身がATMでカードが出て来なくなった時の

平安のツールを解説されていた。

この場合すぐにカードを取り出してもらうのが願望Eになるけど、

ラバーンさんが平安を選ぶために

自分が深刻に信じる欲求・願望Eを持ち続けるかの決断について

自分の主張を証明する証拠が知覚として厳然と存在しているように思えても

それでも心に深く潜っていくという話をした時、

のりこさんが6/18の勉強会で

「地球の地表から下のマグマのさらに底から決断を変えるために、

自分の主張がいくら正しく思える状況でも、

自分が被害者だと言い張りたい願望に触れるまで深く見ていく。

エクスプレッションは最終目的じゃなくて、

深く見ていくための最初のステップです。

 ただ感情をエクスプレスする時期もあるけどね。」と言っていたのを思い出して、

「こんなにも深いところから諦めなきゃだめなの」

みたいな気分になった。

「幻想を諦めるのは犠牲ではないから、犠牲は存在しません」

とフランセスが話していたけど、

腹では納得できない。

平安のツールをデイビッドの本『覚醒のレッスン』

で初めて見たとき、最後の方の文に

「願望Eを手放して平安を選びますか、それとも願望Eを持ち続けますか?」

という感じの言葉があり、

願望Eを手放すように促されるのは犠牲というか、

欲しくて魅力的に感じられるものや

どうしても必要だと感じるもの

をわざわざ諦めるように上から目線で頭ごなしに言われているようで

「ちょっと待って」という抵抗感を感じた。

願望実現系とは真逆の、

自分の要求が間違っていたのを認めるというのは

今もすごく犠牲感というか、

屈辱というかしぶしぶ負ける感じがある。