呼んでいる胸のどこか奥で

2016年から奇跡講座を学んでいます。

臨死体験と予言たち Suviving Death

ニサルガダッタ・マハラジの弟子のラメッシの本、「意識は語る」で、

ラメッシが若い頃、占い師か何かに、

「あなたは60歳を超えて師(マハラジ)に出会って、

そのあと大きく変化する」と言われたこと、

マハラジに、「いずれあなたを通じて何冊か本が生まれるだろう」

と予言されて、何年も後に実際そうなったこと、が書かれていて、

それで予言について書きたくなった。

何かの動画で聞いた話。

ジュディ・スカッチさんの祖母と妹(姉だったかも)が亡くなった時、

それぞれが数週間か数日前に、

「わたしはもうすぐ逝く」とほぼ正確に死期を予言してから旅立ったらしい。

妹さんが「もう会えなくなる」と突然電話してきて、

ジュディは何のことかわからなかったけど、本当に数日後、

妹さんが飛行機事故で亡くなって、

ジュディはしばらく飛行機に乗るのが怖かったらしい。

https://youtu.be/WnnGf4CRw-k

「死は存在しない」というテーマのFIPの動画。

ジュディの娘のタマラさんは、

ヘレンみたいに小さい頃からテレパシーが使えたり、

絶対にわからないはずのことを感じとって話したりしていたらしい。

最初タマラさんを見たとき、

見た目や声がヘレンにそっくりで、驚いた。

34:30秒から、タマラさんが20年一緒にいた猫が旅立った時、

タマラさんが悲しみから泣こうした瞬間、その猫の霊がタマラさんの

そばで鳴きはじめたのがタマラさんに感じられた。

しかも鳴き声があまりに大きくなったので、

タマラさんはその猫の大きな毛玉をゴミ箱から拾い上げて、

「鳴くのをやめて!今からわたしはこの毛玉を見ながら泣くつもりだったのに!」と言ったらしい。

タマラさんが娘を欲しがっていたけど、息子が生まれて、

夫が子どもを1人しか求めなかったので未練を感じていたら、

更年期の初期に、夢の中でタマラさんの体内に炎があって、

その炎が、「わたしはBlaze(炎)、あなたの娘よ。

あなたがわたしの姿を見ようと見まいと、ずっと一緒にいる。」

と言って、タマラさんが感動と共に起きると、

3歳の息子さんも起きて「Blazeって何?」と言って、

タマラさんは驚いたらしい。

その後血液検査が間違いだったことが発覚して、

実はタマラさんは2人目を妊娠していたけど、夢の予言通り、

10週で流産したらしい。

その後タマラさんが息子さんに死の意味を説明すると、

息子さんは、「ぼくの妹は死んでないよ。」と言って、

またタマラさんは驚いた。

息子さんは妹さんがそばにいるのを感じていた。

ネットフリックスで、「死後の世界を探求する(原題Suviving Death)」というシリーズが無料で見れた。

https://youtu.be/UntuKHaMpOI

その中でメアリー・ニール博士という無神論者だった

脊髄神経外科医の女性が、

チリで1999年、カヤックの事故で死にかけ、臨死体験をして、

あの世でもう人間の世界に戻りたくないと思っていると、

人生の中で経験する予定のレッスンのリストを見せられて、

その中に、9歳の息子が18歳くらいで亡くなる、とあって、

霊たちに「何で私の息子なのですか?」と聞くと、

「the beauty comes of all things」

(ネットフリックス版の翻訳では全てに死は訪れるから、だった)

と言われたらしい。

メアリーさんが肉体に戻ると、誰も頼んでないのに、

近くの道路にちょうど救急車が来ていて、助かった。

当時のチリではありえなかった。

その時、メアリーさんを救急車まで運んだ同伴者の男性が、

「あんたたち、こんな場所で何してるんだ?」

と救急車のクルーに聞いてもあまり反応がなく、

後に救急車に乗っていた人たちを調べても全く情報が掴めず、

たぶんあれは天使たちだった、らしい。

他にも、いくつもの奇跡が病院とかで起こっていたらしい。

それから息子さんの死の予言のことをずっと恐れていたけど、

本当に18歳のときに息子さんがスキーの事故で亡くなった。

メアリーさんは、神の実在を今は直接知っていて、

あの世の体験から、神が全てに計画を持っていて、

コロナも全ては計画のうちだという確信がある、らしい。

ラメッシが予言を経験していたのは意外だったけど、

ラメッシの教えは

「行動も物事も、決して個人はコントロールできない、

全ては神の意志とか脚本通りにしかならない」

という感じだから、予言は結局、そういう意味だったのか。

There is no death という上のFIPの動画のYoutube広告動画が、

諸葛孔明が死後なぜか現代の渋谷に生まれ変わって、

金髪のラッパーの女の子の軍師になって活躍するというアニメ、

パリピ孔明で思わず笑った。

途方に暮れる気持ち

いつも、じゅんこさんのブログのタイトル、

「わたしは知覚に問題があります」を見て、

ああそうだった、自分は地獄みたいな世界の夢の、

妄想にはまり込んで、脱出できなくなったから、助けがいるんだった、

と思い出せるのが、ありがたいです。

ちょっと時間が経ったから落ち着いて書けるようになったこと。

なおこさんのいじめや虐待についての過去の記事を読んで、

醜悪な加害者やかわいそうな被害者がいる、という感じ、

世界観にすっかり圧倒されて、

かわいそうな犠牲者へのなんてかわいそうに、

さぞかし孤独で辛かっただろうに、という悲しみ、憐憫と、

罰に値すると感じられる醜悪な加害者がいる、という感情、

感覚がグオオーッと火山の噴火みたいに沸き起こってきた。

加害者が肉体的にも立場的にも有利な男で

被害者がおとなしい女の子だった、という知覚で、

1番赦せないと感じられるパターン。

自分ではその犠牲者への憐憫や、

加害者への強烈な怒り、憎悪、罰したい、攻撃したい、

という強烈な感情をどうしようもなかった。止まらない。

赦しのレッスンも思い出せず、すっかり頭から抜けるというか。

ある程度日が経って、『思考の逆転』をしばらくぶりに読んだら、

62ページ3行目に、

「わたし(被害者)をこんな目に合わせた人を憎むのは当然」

「赦しは攻撃もしないし、被害者をかわいそうに思って、

加害者を憎むこともしません。」

とあって、ズバリ図星という感じ。

それにしても、加藤さんやコースはこう言うけど、

動揺や怒りは無意識の選択だ、

って言うけど、

記事を読んだときは加害者とかわいそうな犠牲者がいる、

という知覚が、めちゃくちゃリアルとしか感じられないし、

それだけが厳然たる現実としか思えない、と、

かなり途方に暮れる感じがした。

『神の使者』488Pに、9.11を見たゲイリーが、

加害者と犠牲者が大きなスケールで知覚されている状況に、

「難易度の序列がないって言うけど、そんな簡単なのか?

本当にコースの赦しは有効な教えなのか?」という趣旨で、

途方に暮れる気持ちを書いていたけど、そんな気持ち。

ゴミを捨てに行くとき、

冷たい空気や風で寒さという苦痛を感じるときも、

途方に暮れる感じがする。

ハァ、この苦痛と犠牲の世界から解放されるって、結局、

儚い幻の希望なのか?という気持ち。

でも、何かの悪夢を見ていたときも、この途方に暮れる感じ、

絶望感を感じていた。

夢を見てハマり込んでいるときは、それが儚い妄想だっていうことに

全然気づけないで、夢が厳然たる固い現実としか感じられない。

 

 

 

 

 

 

 

「あなたはよくやってきた」

https://youtu.be/1sKUr6i9V0M

のりこさんが8:03と17:00くらいで、「聖霊は、あなたはよくやってるって言ってるの」

と言ってたところ。

『天国から離れて』P531上段3行目で、イエスがヘレンに伝えたことで

「あなたはよくやってきたし、これからは…」

というのがあったのを思い出した。

たしかに、聖霊はそう言ってた。

絵を描いてたときも、もっと上手くならなきゃ、

と思って描いてるときは、楽しくなかった。

のりこさんが言うように、緊張感とストレスがあるばかりで。

たまにいいのが描けて、嬉しい気持ちになったりもしたけど。

 

 

 

 

見た目が中身を隠している マトリックス4

マトリックス4を見たとき、

新しいマトリックス世界に記憶を忘却されて捕まって、

すっかり単なる一般人として暮らしてたネオとトリニティが、

「かつて2人ともマトリックスから目覚めてたこと」

をお互いに気づかないように、他人からも、お互いからも、

2人の外見が全く別人に見えるように、

マトリックスのプログラムで設定されていた。

トリニティは顔が全く違う金髪の白人女性に、

ネオはホームレスみたいなおじさんの見た目に、見事に擬装されていた。

「外見や形態は心を欺く」とテキストのどこかにあったけど、

ネオやトリニティが本当は誰なのか、

本人たちや他人が気づかないように、プログラムが外見で欺いてた、

というのが、映画を見ていて、気になった。

実際、怖く見える見た目の人が実は優しかったり、

外見で優しく見える人が、実はそういう心の状態じゃなかったり、

色々な所で「外見と実際の中身にギャップがある」のはよく感じる。

あと、マトリックスシリーズの監督のウォシャウォスキー兄弟が、

2人ともいつのまにか男性から女性に性別が変わっていて、

髪型や見た目も激変して女性になってウォシャウォスキー姉妹になって

いたのを見たときは、正直心底驚いた。

もともと心が女性だったけど、体の見た目や世間体は、普通の男性です、

ということにしていたのかな。

そういう意味でも、体の見た目と中身には、ギャップがあったのか。

マトリックス4の監督の姉妹の妹さんは、

過去のインタビュー映像で、

マトリックスはトランスフォーメーション、

変身についての物語だった。

トランスジェンダーの人が、マトリックスの世界では、

自分の心に忠実な性別として存在できる、という描写をしたかったけど、

あの時代ではまだ、世間も映画業界も、そういうことに準備ができてなかったから、描写できなかった。

マトリックスの主人公は男性で、

女性のキャラクターについてあまり描写できなかったから、

いずれ女性にフォーカスしたい」と言っていて、

だからマトリックス4はトリニティにスポットが当たったのかな、

と思った。

あとマトリックス1の、スイッチという短髪の見た目の女性は、

本来の設定ではトランスジェンダーで、

現実世界では体が男性だけど、

マトリックスでは見た目が女性に切り替わる

という描写をする予定だったらしい。

だから名前がスイッチ(切り替わる)だったのか、と納得した。

ゲイリーレナード氏の本のどれかで、人は何千回と生まれ変わるし、

見た目も変わるし、ひとつの人生の中でも変化して生まれ変わる、

とあったけど、

マトリックスの監督たちは、たしかに生まれ変わっていた。

監督がトランスジェンダーの人だったからこそ、

世間の価値観や常識に囚われないで生きるというテーマを、

世界に向けて発信したい気持ちが強くあって、

それが、トリニティが妻や母親といった女性の人生の規定路線から

思い切って自由になる、という描写になったのかな、と思った。

あと序盤のネオが、マトリックスの世界から解放されたいと感じつつ、

記憶もなく、本来の力も忘れて、見た目も別人にされていて、

周りの人や心理セラピストたちからも、

「君はただストレスでおかしくなっただけで、

マトリックスから目覚めるなんて、ただの妄想だよ。

この世界で、今の地位や環境に満足して、

ただ働いて生きればいいんだよ。

この世界が現実じゃないなんて、マジメに考えるなよ。

妄想的なたわごとだよ」

という洗脳をずっとされていて、

ネオ自身が狂っているのか、世界が幻想なのか、

どっちなのか確信が持てずに迷って葛藤しているところは、

まさにわかる、と共感した。

『神の使者』に、確かアーテンが、

コースをはじめた頃は、まさにあんな気持ちだった。

今でも、そう感じるときがある。

そういえば、確か『神の使者』でアーテンが、

「コースは洗脳だと思うかもだけど、

君たちはすでにエゴに洗脳されちゃってるんだよ」

という感じのことを言っていた。

トリニティが夫や子どもたちをとるのか、

マトリックスから解放されるのかを選ぶシーンでは、

1番感動したのは、やっぱりトリニティがネオと一緒に解放されるのを

選んで、「ネオ‼︎」と叫んだシーンだった。

昔のあのトリニティが帰ってきた、という感じだった。

 

 

 

 

 

向き合いたくない。

正直今の自分は、真我なるとか海外の方たちでも、

誰かと真っ向から、真正面から向き合うこと自体、

準備が出来てない。

複数の人が参加するミーティングなら、

なんとか参加できるように、やっと最近なった、というところ。

真我なるの人たちと、Zoomでも、話したかったらいつでも遠慮なく申し出て下さい、と何人かの方から言って頂いたけど、

それは本当にありがたかったけど、圧倒的に、自分は、

逃げたい、心の底の裏まで見抜く人たちと真正面から向き合うのが怖い、

という、

自分の情け無さや自己嫌悪、恥ずかしさみたいな、

強烈な居心地の悪さ、全身で感じるなんとも嫌な感覚から、

逃げたい、痛々しすぎて、苦痛すぎてとても向き合えない、

一人でいる安心感に、留まっていたい、という感じだった。

今でも。

子どもの頃から、仲がいい友達は少なかったし、

いじめられはしないけど、疎外感がいつもあったから、

本当に無防備にやりとりできる人、仲間、

みたいなものへの希求が強くあったけど、

いざ、そういう場に近づくと、怖い。

結局、他人と真正面から、向き合うのが怖くて、嫌だった。

嫌な思いしたくない。

本音で関わって、何かが起きて、今後に悪影響が出るという、

リスクは避けたかった。

図書館や図書室は、安全な場所だったから、いつもそこにいた。

ジェニーさんと話したときも、

恥ずかしさ、ジェニーさんに比べて自分全然ダメ感、

ジェニーさんみたいな人と話す資格は自分みたいな人間には無い感、

みたいな感じがかなりあった。

真我なるの方たちの記事を読んでいるだけでも、

相当に腹にズドンとくるし、読んでいても心がかなり

動揺するときがあり、しばらく過去の記事を読むだけで、精いっぱい、

もう余裕がない、もう今日はこれ以上はムリだ、という感じなる。

今は、これが自分の精いっぱいだけど、

少しずつ、向き合いたい。

 

 

 

 

 

 

ゲームと動揺

Dead by Daylight という鬼ごっこ的なホラーゲームがあり、

数年前に初めて配信を見たときは、

あまりにグロテスクで生々しい演出や音で、かなり気分が悪くなった。

具体的には書かないけど、とにかく、グロさや痛々しさがすごい。

「何でわざわざ、こんなグロテスクで生々しい演出にしたのか?

ホラーの雰囲気や臨場感が出るとはいえ、さすがに気分が悪くなる。

こんなゲームやりこんでる人たちの気が知れない」

という感じだったけど、今このゲームの同じようなやたらグロテスクな

動画を見ても、すっかり慣れたから全く動揺しないし、

気分悪くもならない。

そういえば、Living Miraclesの人たちが、VRゴーグルか何かで、

恐怖や動揺を体験するみたいなことをやってたらしいけど。

最初は人間がグロテスクに痛々しく攻撃されるゲームの動画を見て気分が悪くなってたけど、

何年も経って慣れると、まさに無意味で、

単なるグラフィックと音の連続でしかなく、

無味乾燥。

ワークブックの最初の方のレッスンみたい。

 

 

罪悪感や怒りから行動

昨日の夕方にインターホンが鳴って、

出ると、かなり大きめのダンボールが届いた。

いつもネットで物を買うのは父なので、どうせ父だろうと思った。

父は2階にいたせいか、インターホンに出ることはなく、

自分が宅配を寒い中、受け取ったということに、何か、

微妙に使われた感、犠牲にされた感、不当に扱われた感、を感じた。

激怒とまではいかないから自分でも、

はっきりとは意識できなかったけど、今思えば、

底流に微妙に怒りを感じていて、

大きめのダンボールを玄関に置いたら母が帰って来るとき邪魔になるだろうというのもあったけど、父に当てつけのように、

階段の下の物置の見えやすいところに置いた。

結局、ダンボールは母が頼んだものだったので、

階段の下の物置より、居間に運んだ方が良かったし、

そもそも父が頼んだものじゃなかった。

怒りから行動したら、全く間違った被害者意識の解釈からしか、

動けてなかった。

その後、エゴ状態から動いたら何をどう行動しても、

必ず罪悪感を感じることになる、というお話を聞くことになり、

完璧に自分に当てはまることだと思った。

その数日前も、母の家事を小さな事で手伝おうとしたら、

むしろ邪魔になっただけだった、ということがあった。

そのときも、母への微妙な罪悪感や申し訳なさから行動していた。

そのときは、自分では良かれと思ってやるものの、

結局いつも、家事とか些細なことでも、

自分が間違って被害者や加害者がいるという解釈をして、

結局、間違えた解釈と間違えた行動をしてた。

聖霊に尋ねなければ、自分では何もできない、って、

本当だな、と今更だけど実感した。

そういえば漫画の『それ町』は、作者が推理モノが大好きな人で、

「主人公やキャラクターが、

日常的な状況を自分で勝手に深刻に解釈して、

間違えた解釈に基づいて行動してしまう」

というシーン、パターンが何度も描かれる。

外見や名前や過去の連想で、

自分で勝手に人や状況を判断して、間違えた解釈をしたり。

自分も、そういうことを日常的にやっている。

それ町』は、コースに出会うのと同じ時期に、京都の本屋で、

『なんか、良さそう』と感じて買ったけど、

キャラクターが自分の願望や過去の連想で勝手に状況を解釈しては、

間違える、というのを繰り返し描いていて、

自分にとっては、まさにコースの学習にはピッタリだった。