信頼
1時間20分ごろから、コロナ中に政府から受けた補助金が尽きかけており、
心底、強い恐怖を感じているが、信頼を学ぶようガイダンスされている、
しかし、とても不安です。という男性に向けて、
ケイトさんが、かつて聖霊からのガイダンスで仕事をやめ、お金が尽きかけ、
残りの食べものはスープの作り置きしかない、というときに、
それでも、「信頼が今、全ての問題を解決する」のを学ぶために、自分でなんとか解決して、
自分で欠乏を満たすんじゃなくて、誰かに助けを求めることさえもせずに、
あくまでも、飢えて死ぬ恐怖を感じながらも、
聖霊の指示される通り信頼して待つ、ということをやっていたとき、
ケイトさんの窮状を誰にも知らせてないはずなのに、
姪がギフトカードを持って訪ねてきたり、息子が野菜を持って来てくれたり、不思議と助けは来た、聖霊は兄弟の心に働きかけて、助けてくれることもある、ただし何がどう起こるかは個人にはわからないというシェアをなさった。
自分が高校1年のとき、知識を詰め込むだけの授業に心底うんざりし、思ったより普通で刺激がなく、退屈に感じた同級生や教師たちにもガッカリし、
部活もやる気になれず、友達と遊ぶでもなく。家に帰ればネット見て笑うだけ。
定期テストの勉強もする気になれず、成績も当然悪く、
「この先どうやって生きていくのか?大学に行く気にもなれない。働くのか?どうすればいいのやら見当もつかない。絶望感しかない。もう自殺したいくらいだ、、」
という感じだったところ、1年の終わりごろ、父に塾に連れて行かれ、塾の先生が、理系の人なのに、
数学と英語と、スピリチュアルなことを教える先生だった。
本当に不思議。
高2からは、話が通じる面白い友達も増え、塾に行ったら、塾の先生から、
奇跡講座に書いてあるような欠乏の原理、与えるものが受け取るものだとか、地位や金があっても幸せになれないんだ、とか、
奇跡のコースの引用があった「神との対話」とか、少しうさんくささ感じつつも、いかにも学びがいがありそうな、興味を引くものを教えてもらえるようになり、途端に楽しくなった。学校でも、評価され、いい感じのポジションになった。
実際、性格も前向きに変わった。
英語を効率よく上手く教える先生だったから、英語の勉強には精が出た。
友達がそれぞれ、この漫画面白いよ、この映画一緒に見ようよ、このアニメ知ってる?
と言ってくるようになり、全部見事に、クラウド・アトラスとかグレンラガンとか、奇跡講座に噛み合った作品だった。
クラウド・アトラスを見せてくれた親友が、塾のそばの教会に通っているのに出くわし、「実は、秘密なんだけど、おれキリスト教徒なんだ。」
と言ってくれた。
塾の先生も、学校の担任も、自分は数学が大嫌いで英語ができたせいか、
国際的なキリスト教系学校への進学をそれぞれ、勧めてきた。
奇跡講座を始めるためのレールがあらかじめ敷かれているみたいだった。
確かに、自分で追い求めて、探して、解決しなくても、いつも、
必要なものは、本当に不思議に、いいタイミングで、与えられてきた。
今また、信頼が必要なのか。
ケイトさんみたいに、
残りわずかなお金に執着してセーブしようとするのをやめて、
信頼を学ぶべきなのか。
果たして、自分にそんな勇気があるのか?
作品だった。