人生への不安 生活費という言葉がマジでイヤ。
高校3年のとき、就職するのが嫌で、大学を選んだ。
親はそこそこらしい大学に受かって行くのを文字通り泣いて喜んだけど、内心、大学に行きたいから行くんじゃなくて、就職して働いたら、
みじめな、義務感、重たい感じの、囚人みたいになってしまうのが怖くて、逃げたい一心、高校卒業して、何もやることない。
家にいるしかないって状況が、ドン底になるのが心底怖かったから、
恐怖心から、大学に行こうとしてたのがわかってるから、
大学生活に対し、夢も希望もなかった。
入学式の日、なんだろう、大学でやっていく自信がない、就職活動とか、
まるで自信ない。
両親からの、お前ちゃんと大学卒業して、仕事して、
両親に恥かかせるなよ、という脅迫的なプレッシャー、
この奴隷の群れにしか見えない社会で、なんとか、
自立していかなければ、という重圧に押しつぶされそうで、
大学へ向かう京都の駅で、恐怖と、重圧感、緊張感で、
体が縮み上がっていた。ひたすら恐怖と重圧感。内臓が浮き上がって、心臓が締め付けられる気分。
電車に飛び込んで死ぬサラリーマンの気持ちが、少しわかった。
あー、なんだろう。自分で自分の人生を、怠けたがる自分を、
厳しく律して、体にムチ打つ感じで、とにかく頑張らなきゃ、みたいな感じで、
大学でなんとかやろうとしたけど、無理だった。
必死にポジティブ思考を使って、とにかく頑張れば、法学部の授業も、努力すれば楽しくなるはず。
頑張ればなんとかなる。頑張ればなんとかなるはず。
乗り越えられるはず。必死に、自分に言い聞かせてたけど、無理だった。
母親も祖母も、頑張れ、頑張れ、信じてるよ、期待してるよという態度。
戦時中の、特攻隊に志願した男の子たちの気分。
家族からは、頑張れ頑張れと、諸手を振って送り出されるけど、
内心、やりたくないし、犠牲者感でいっぱい。
それでも、頑張るしかない、理不尽でも、とにかく頑張らなきゃ。
心配されてもオレ大丈夫だからと、マスクをかぶる。
内心の不安感、絶望感を家族に話しても、
「働かざるもの食うべからず。この社会、世界では、キツくても、とにかく頑張らなきゃ。犠牲を払って社会に貢献して始めて認めてもらえ、いい生活ができるのよ。甘えは許されないんだから」
と言われるのがわかりきってるから、相談する気にもなれず。
高校の塾の先生から教えてもらった、
奇跡のコースのことが書いてあった、
『神との対話』という本だけが頼りだった。
今思えば、人生の岐路、路頭に迷うタイミングで、完璧なタイミングで、コースが人生に入ってきてた。最初はやっぱり、引き寄せ系で、
現実をコントロールしようとした。
引き寄せ系の、アファーメーションで必死にコントロールしようとする感じに疲れ果て、ウンザリし、
エックハルトや、アジャシャンティ、ムージ、セスとかラムサに興味を持った。
絶望と不安しかない人生から、救ってほしかった。
幸せになるヒントが欲しくて、夢中でスピリチュアル系を見て、大学辞めたくなって、
家族から何て言われるか、同級生からは見下されるとか、社会の底辺になるとか、人生への不安が巨大になり、本当に助けが欲しい!どうか助けてください!という感じになったとき、ギブアップの会を見つけた。
今思えば、ギブアップの会という名前、あの時の自分に完璧にピッタリ。
文字通り、藁にもすがる思いで、ギブアップの会の記事を読むと、
不思議なことに、その時の自分の気持ちや不安、苦しみ、
醜いエゴでしかない両親や奴隷社会への絶望感など、
完璧に、心の内を見透かされてるみたいだった。
完璧な流れだった。
ギブアップの会に対する強い疑念、不信感も湧き上がってきたけど、もはや信頼するしかなかった。
ギブアップの会の教えは、奇跡講座と完璧に一致してた。
エゴの性質を解説したり、世界や社会は夢だけど狂ったシステムであること、
ギブアップの会では、聖霊は精霊と言われてたけど、聖霊と全く同じような存在だった。
『神との対話』がきっかけで、奇跡講座を始めて、ギブアップの会と、
奇跡講座のメッセージがまるで同じ、そっくりで、会の主催者Tさんは、
奇跡講座の学習者に違いない、と思い、東京に会いに行き、
奇跡講座とあなたの言うことは、キレイに一致してますけど、
奇跡講座知ってますか?と質問すると、いや知らない、読んだことない、でも、どんな宗教でも、霊性でも、メッセージの本質は同じだから、
それは不自然な偶然の一致じゃなくて、むしろ自然な、必然なんだ、
と言われた。
そして奇跡講座の勉強会を探すことを勧められて、今に至る。
Tさんには、なんか気恥かしくて、メールできない。
Tさんを自分の救世主にしてしまったから、逆に近づくのが怖くなった。
Tさんの言うことがウソであることが証明されてしまったら、
自分には絶望のドン底しかない、自分のエゴを明確に指摘してくるかもしれないTさんに対する、憧れと、恐怖が入り混じった感じ。
Tさんは、悟りを開いた、聖人君子、なんていうマスクは全然なく、
エゴだった自分の過去を無防備にシェアしてもいたけど、正直、どうやってTさんが生活費を稼ぐのかが気になって、そこは触れたらマズイ気がして、話すのが怖くなった。
結局、社会の奴隷になるしかない、という絶望感を与えられる気がして、
怖くてTさんと、話せなくなった。
で、のりこさんのブログを見つけた。
長かったけど、最後まで読んでくださってありがとうございます。