呼んでいる胸のどこか奥で

2016年から奇跡講座を学んでいます。

ひとりと仲間

ぷろおごさんがジョーカーの記事を書いていて、

風呂に何ヶ月も入ってなかったときの自分を思い出した。

すっかり絶望して、社会や親や教育体制、権力者とかをひたすら恨む。

「傲慢なこいつらのせいで、子どもたちは不幸な教育を施されるんだ」

という感じで、加害者を恨む被害者になりきる。

映画のジョーカーみたいな人に自分が実際になったら、

新聞とかニュースで、

「どうやら犯人は『奇跡講座』という、

怪しい新興宗教らしき本を読んでいたらしく、、」

みたいに報道されるかな、そうなったら、

奇跡講座の学習者には迷惑だよな、、じゃあやめとくか、とか思ってた。

本気でやりたいとまではならないまでも、やるイメージをしていた。

そうすると、なんか自分の間違いを潔よく認めるより、

自分の頑固さに固執してい続けたくなる。

むしろダメな自分のままでい続けたい。

自分の間違いを潔く認めるのは、屈辱で癪だし、

相手は全く信頼できない連中だから、心を開いても損するだけだし、

で、行き詰まる。

で、のりこさんに面会して話してもらうしかもう道はない、

助けを求めるしかない、となり、4ヵ月以上ぶりに風呂に入って、

長く伸びきっていたヒゲを剃った。

ジョーカーになる人の気持ちは、たぶんある程度はわかる。

どこを見ても希望がない、光が見えない、

両親とか知り合いも頼りにならない、もうダメだ、

社会が悪いんだ、親が悪いんだ、

どうあがいても苦しみしかないじゃないか。

働こうが働くまいが、どっちにしろ地獄だ。

自分は奇跡講座があったから、まだ最後に助けを求める人がいたけど。

Zoomのミーティングの日、

「デイビッドの動画まだ見たいし、今日は休むかな。

ひとりの気楽さに留まっていたい。参加したらちょっと緊張するしな」

と思うけど、なんか、参加したほうがいい気もして、

緊張するのが若干いやながらも参加すると、

「ああ本当に参加して良かった。みんなの話が聞けて救われた気分だ」

となる。

こうすけさんが言ったように、ひとりでいると、

自分の不幸な狭い世界観にハマりきってしまって、

その地獄に留まり続けて、

自分が殺人鬼になって、傲慢な連中や社会に一矢報いて、

代弁して、モノ申してやる、みたいな妄想までしてた。

この価値観や教育体制に抗議してやる!みたいな。

話せる仲間がいれば、全然違うのに。

ミーティングに誘ってもらえたのは、本当にありがたかった。