呼んでいる胸のどこか奥で

2016年から奇跡講座を学んでいます。デイビッドはDavid Hoffmeister氏で、ワプニック博士はKenneth Wapnick博士てす。MWGEはコース学習者のための映画紹介サイトhttps://mwge.org/ です。

初会話の罪悪感と、バイロンケイティのワーク

メッセンジャーで、じゅんこさんや、こうすけさんと、

初めてやりとりをするとき、

「やっぱり、初めて会話するんだし、年上だし、常識的に、気をつけて、

丁寧に敬語だよな、いきなり親しくは、真我なるハートの参加者とはいえ、さすがに、無礼と思われるよな、これ以外のやり方、わからないし」

と思って、丁寧に、と気を遣った言葉使いをして、

相手にも、丁寧な言葉遣いをさせて、気を遣わせてしまったか、

申し訳ない、と罪悪感を感じた。

しかしのりこさんは、自分との初会話で、かなりリラックスしていたし、

胸に刺さることを、ズバッと言うこともあったし、

母親のような愛情も示してくれた。

自分は、緊張してしまってたけど。

デイビッドも、いきなり、何の前置きも断りもなく、

自分の教育体制への怒りや憎悪とか、

デイビッドが日本の教育を批判したように聞こえたとかの、

ヤバめのツイートを世界中の18万人のフォロワーに突然リツイートしてきた。

普通に考えたら、リツイートされるほうはめちゃくちゃビビるけど、

デイビッドはきっと全く気にしてない。

自分が、いきなり親しく会話されたら無礼だな、嫌だなと感じるから、

その思考を相手に投影して、気をつけて丁寧にしなきゃと思ったのか。

微妙だけど、被害者・加害者の思考が、

プレッシャーの背後にあったのか。

以下ワーク。

わたしは、わたしに罪悪感を感じた。なぜならわたしは、

相手に、メッセンジャーで、気を遣わせたから。相手の重荷になったから。

1 それは本当ですか?

はい。

2 絶対に本当だと、言い切れますか?

厳密には、いいえ。「きっと、こうだろう」という、

憶測の域を出ていない。

本人に、聞いたわけじゃないし。

仮にそうだったとして、気を遣うかどうかは、

そもそも相手の願望、選択次第で、

「わたしが相手に気を遣わせた」という、考え自体、

他人の決断を自分が操れるという、傲慢な考えじゃないか?

加害妄想なんじゃないか?

3その思考を持っているとき、どんな感じですか?

緊張して張り詰め、不自然で、内臓が重たく感じる。

4その思考がなければ、あなたはどう感じますか。

自由だろう。

以下置き換え。

わたしは、彼や、彼女に気を遣わせた。重荷になった。

⬇︎

わたしの考えは、わたしに気を遣わせた。わたしに重荷を背負わせた。

わたしは他人の重荷になった、という考え自体が、

自分とっての重荷だったのか。

ワークブックL281 わたしの想念以外に、

わたしを傷つけられるものはない。

というレッスンか。

逆に、仮に相手が苦しむなら、それはそもそも、

相手の決断や思考の結果であって、

そもそも自分が、相手の心の状態を、

苦しむ状態にコントロールしたわけじゃない、ということになるのか。

引用は、『奇跡講座ワークブック編』中央アート出版より