初会話の罪悪感と、バイロンケイティのワーク
初めてやりとりをするとき、
「やっぱり、初めて会話するんだし、年上だし、常識的に、気をつけて、
丁寧に敬語だよな、いきなり親しくは、真我なるハートの参加者とはいえ、さすがに、無礼と思われるよな、これ以外のやり方、わからないし」
と思って、丁寧に、と気を遣った言葉使いをして、
相手にも、丁寧な言葉遣いをさせて、気を遣わせてしまったか、
申し訳ない、と罪悪感を感じた。
しかしのりこさんは、自分との初会話で、かなりリラックスしていたし、
胸に刺さることを、ズバッと言うこともあったし、
母親のような愛情も示してくれた。
自分は、緊張してしまってたけど。
デイビッドも、いきなり、何の前置きも断りもなく、
自分の教育体制への怒りや憎悪とか、
デイビッドが日本の教育を批判したように聞こえたとかの、
ヤバめのツイートを世界中の18万人のフォロワーに突然リツイートしてきた。
普通に考えたら、リツイートされるほうはめちゃくちゃビビるけど、
デイビッドはきっと全く気にしてない。
自分が、いきなり親しく会話されたら無礼だな、嫌だなと感じるから、
その思考を相手に投影して、気をつけて丁寧にしなきゃと思ったのか。
微妙だけど、被害者・加害者の思考が、
プレッシャーの背後にあったのか。
以下ワーク。
わたしは、わたしに罪悪感を感じた。なぜならわたしは、
相手に、メッセンジャーで、気を遣わせたから。相手の重荷になったから。
1 それは本当ですか?
はい。
2 絶対に本当だと、言い切れますか?
厳密には、いいえ。「きっと、こうだろう」という、
憶測の域を出ていない。
本人に、聞いたわけじゃないし。
仮にそうだったとして、気を遣うかどうかは、
そもそも相手の願望、選択次第で、
「わたしが相手に気を遣わせた」という、考え自体、
他人の決断を自分が操れるという、傲慢な考えじゃないか?
加害妄想なんじゃないか?
3その思考を持っているとき、どんな感じですか?
緊張して張り詰め、不自然で、内臓が重たく感じる。
4その思考がなければ、あなたはどう感じますか。
自由だろう。
以下置き換え。
わたしは、彼や、彼女に気を遣わせた。重荷になった。
⬇︎
わたしの考えは、わたしに気を遣わせた。わたしに重荷を背負わせた。
わたしは他人の重荷になった、という考え自体が、
自分とっての重荷だったのか。
ワークブックL281 わたしの想念以外に、
わたしを傷つけられるものはない。
というレッスンか。
逆に、仮に相手が苦しむなら、それはそもそも、
相手の決断や思考の結果であって、
そもそも自分が、相手の心の状態を、
苦しむ状態にコントロールしたわけじゃない、ということになるのか。
引用は、『奇跡講座ワークブック編』中央アート出版より