Cateさんや他の教師を見ていると、
デイビッドやクリシュナムルティに”比較”して、
常識的というか、普通の人の心に優しく寄り添っている感じがする。
デイビッドやクリシュナムルティは、若い頃から妥協なく自我の取り消しに取り組んだからか、普通の人間と感覚や常識の基準があまりにも乖離してズレていて、普通の人がちょっとついていけない感じがする。
住んでる世界があまりに違いすぎる。
現代よりはるかに進歩した文明の宇宙人が江戸時代の人間に教えているような感じ。
カースティンさんも、「I Married a Mystic 」 で、書いていたように、
コースを始めてまもなく、
いきなりデイビッドと2人で旅行することになり、
あまりの人生の変化の落差、自我に全くとらわれることがない
デイビッドとのあまりのギャップに、
「もっと優しい穏やかな道が良かった」と心底思ったらしい。
自我を取り消せば、自我の価値観や世界観から離れていくわけだから、
なるほど、恐怖や執着や憎悪や苦しみに色付けられた
人間らしさ、人間くささは減るけど、
普通の人からはどんどん乖離していくのが、何かヤバい気がした。
ワプニック博士は、JACIMの「自己破壊的傾向について」の
Youtubeビデオで、
「そもそも赤ちゃんとして生まれてくること自体が、
ある意味では最大の自己破壊的な行為なんです。」と言っていた。
いや、子どもがいる人はショックなんじゃないですか?
確かにその通りだけど、、、と思った。
ガンダムのアムロが、どんどんニュータイプとして目覚めていって、
人間離れしていき、周りの人から浮いた存在になったみたいに、
普通の感覚との乖離が大きくなっていく。
デイビッドは、本当にごくたまにだけど、
質問者の切実な質問に答えず、
自分の経験や微妙にずれた話をして、
質問者が、「いや、それ私の質問の答えになってないんですけど!?」
という感じになり、デイビッドの隣にいるリサやフランセスが
適切に質問に答える、というときがあった。
クリシュナムルティも、質問者のあまり的を得ない質問に、
「ノー!マダム、そうではありません!」という感じで、質問を遮ったり、
「この頭が悪い愚鈍な大衆にどう教えたものか、、何度同じことを教えればいいのやら」みたいな感じでため息をつくときがある。
奇跡講座も、ジーザスが、ほんのわずかだけど、
「どうしたら、これがあなたにわかるのだろうか!いつになったら、
あなたは賢明な選択をするのだろう!」
という言い方をしてるときがあるけど、
完全な正しい心からしたら、
自我の質問に答えるのは、
親が幼児の無知で素朴な質問に優しく答える感じで、
愛はあるけど、質問があまりに愚かで的はずれすぎて、
とてもまともに取り合う気にはなれない、という感じなのかもしれない。