呼んでいる胸のどこか奥で

2016年から奇跡講座を学んでいます。デイビッドはDavid Hoffmeister氏で、ワプニック博士はKenneth Wapnick博士てす。MWGEはコース学習者のための映画紹介サイトhttps://mwge.org/ です。

ヒエラルキーとタイミング

他の方のブログを読んで、自分はやっぱり絶対的なヒエラルキーを信じているなと思った。デイビッドとかジュディ・スカッチさんが世界で一番上で、日本のグループだと、ベテラン勢のJACIMの加藤さんや、奇跡の道の翻訳者の田中百合子さん、愛さんとか、真我なるハートならのりこさんやラファエルが高い序列、それ以外は献身の量とか年数で並ぶ感じ。勉強会とかギャザリングに参加できないしファンクションによる組織への貢献もない自分は、最下位クラスのペーペーの下っぱ小僧みたいな。仮想最下位クラスの自分にデイビッドがなぜかツイッターで関わってきたから、釣りバカ日誌で社長のスーさんがうだつの上がらない、組織に全然貢献しないで気ままに遊んでばかりのヒラ社員のハマちゃんに釣り場で関わっているみたいな感じになった。勉強会やギャザリングは心理的なリスクがやたら高くて、怖くて気が引けるから、パソコンが使えない状態なのもあるけど、会社に出て働かないで自由に釣り場で勝手に楽しむハマちゃんみたいにまさにカンフォートゾーンど真ん中の家にいて、楽しくて面白い漫画とか見れるツイッターで自由に好き勝手にやってたらヒエラルキー上、どういうわけか本来ならありえないはずのデイビッドが頼んでもないのに向こうから関わってきた。

グレッグ・ドナーさんも、この人と繋がりたい、と思ったらFBで向こうから申請が来たり、聖霊のはからいなのか脚本なのか、なんなのかわからないけど、

自分の無意識の計画では、のりこさんとまず知り合って、ラファエルとか他の人たちと知り合って仲を深めて、いろいろな人間関係や、ファンクションや、喜怒哀楽や事件やドラマを経験して、赦しをやり、自分で気づけなかったことに気づかされ、無意識の自我を明るみに出していって、ヒエラルキーを上げて進歩していった先に、最後の方に憧れのデイビッドにつながってもらえるかも、みたいなのがあった。笑ってしまう。まだまだデイビッドに繋がってもらうはずの時期じゃないのに、え、もう来ちゃったの!?今来ちゃったの!?みたいな動揺だった。もっともっと進歩して、解放されて、恐怖や憎悪や苦しみがない平安な心の状態になってから、デイビッドにつながってもらって、「ありがとうございました。あなたのおかげでした、わたしはあなたと同じだし、今は分離を感じません。」みたいに素晴らしい成果を示して、ラメッシとニサルガダッタみたいにカッコよくお礼を言えることが理想だったんだ。だから、メールでデイビッドに話しかけたとき、今の自我と疑念満載状態で話すのはしぶしぶというか、自我から解放された状態で、ナイスな、堂々と胸を張って示せる成果を披露するみたいにデイビッドにつながりたかったのに、今なのか、早すぎるよ、、という気持ちがあった。せっかく憧れのデイビッドに話してるのに、なんとなく、残念感があった。かといってウソはつけないから、「今の自分はまだこんな状態だけど、それでも、感謝は尽きません」という、なんかカッコわるいセリフ。ヒエラルキーを信じた上でデイビッドが大好きすぎて、自分の心が癒されて、平和で自由で幸せな自分をデイビッドに見せて、認めてもらうのが最終ゴールだった。それが崩壊したから、ある種の虚無感があった。

これから自分は、ギャザリングとか勉強会に参加してヒエラルキーの中に入っていきたい、序列のレベルを少しずつ上げて行きたい、というのは底流にあった。頑張って勇気を出して、リスクを取って、ひとつずつヒエラルキーを上げたいというのがプレッシャーになっていたのかもしれない。学校や塾でも、結果を出せば仮想ヒエラルキーが上がっていった。そもそも、奇跡講座をはじめる前も、学生とか、社会人というポジションを手に入れてヒエラルキー上げをやるのが嫌で、ウンザリしていた。ゲームの世界でも、ランキングとかのヒエラルキー上げは常に目的になる。ヒエラルキーを上げて、価値を認めてもらえるいいポジションを占めるというのが思いの他、目的になっていて、真の目的がなんなのか分からなくなってしまった。動画の字幕入れをのりこさんに言われたときに、恐れを感じた。

貢献してるポジションを維持するために、義務感で緊張しながらやってる自分が容易に想像できた。