ホットポテトと荒れ地の魔女
デイビッドが、
自我の経験が罪悪感や苦痛だけだったら、
熱いポテトを握り締めるのをやめるみたいにすぐ手放せるけど、
自我は苦痛と快楽、不幸と幸せの両方を提供しているように
トリックで欺いているから、
それに価値があるように見えて手放せないと言っていた。
のりこさんは、私たちは自我を選ぶことで、
火事で燃える家の中に突っ込んでる、
みたいな例えをしていた。
カルシファーの魔力で燃え盛る火に手を突っ込んで、
ハウルの心臓を両手で握りしめたまま火だるまになって、
熱い熱いと叫びながらも子どものように、
ハウルの心臓にすっかり魅力されて全く手放そうとしなかったシーンは、
まさにのりこさんやデイビッドが言っていたことを絵に描いたような感じだった。
コースのテキストには、
危ないおもちゃを手放しなさい。みたいなことが書いてあったけど、
自分のためにも良くないと分かっててもやめられない、手放せない。
どこか心地良く感じるものがあるから。
荒地の魔女には、ハウルが最も魅力的で心地良く感じるものだったから、
熱くてもどうしても手放せなかったけど、
本当に自分では中々やめられない。
映画ではソフィーがカルシファーの炎に水をかけて鎮火してたけど。