呼んでいる胸のどこか奥で

2016年から奇跡講座を学んでいます。デイビッドはDavid Hoffmeister氏で、ワプニック博士はKenneth Wapnick博士てす。MWGEはコース学習者のための映画紹介サイトhttps://mwge.org/ です。

翻訳のプライド?

数年前にTwitchで、格闘ゲーム(格ゲー)の大会の配信をやっていて、

その格ゲーでは日本人の選手たちが活躍していて、

日本人選手が試合後のインタビューに答えるけど、

その配信は英語に翻訳する人がいなかった。

Twitchは海外の視聴者が多いプラットフォームで、

この格ゲーの大会を視聴していた何万人だか何千人かの海外の人たちは、

日本人選手のインタビューが何を言っているのかわからない。

好きな選手、お気に入りの選手が何を言っているのかは、

誰でも聞きたいはずなのに。

翻訳があればいいのに、日本人の視聴者はインタビューを聞いて、

コメント欄であれこれリアクションしているのに、

海外の視聴者は聞きたいことを聞けない。

そこで自分が、コメント欄でインタビューを英語に即時翻訳して、

流しはじめた。

今思えば、「問題や欠乏を知覚して、自分で解決する人になる」

というパターンだった。

デイビッドが言う、Ploblem Finder,Ploblem solverだった。

日本語のインタビューを聞いて、即時に英語に翻訳して、

キーボードじゃなくスマホでコメントに打つのはかなり

大変な作業で、頭の回転を速くせざるを得なかった。

完璧な翻訳じゃなくても、

会話の要点を捉えて簡潔に即時翻訳するだけでも、

かなり大変だった。

デイビッドが、

「家庭や職場で、この状況は自分がなんとかしなきゃダメなんだから、

ほっといたら回らないから、とにかく自分が働かなきゃ、

みんなのために、頑張らなきゃ、という心の状態だと、

ストレスや怒りや疲労がたまる、

まるでいくつもの皿を割れないように同時に必死に回し続ける、

皿回し職人みたいになる」と言っていたけれど、

まさにそんな感じだった。

どなたかが、翻訳と字幕付けのファンクションで、

役に立つ、貢献してる自分は、動画を見て、

ファンクションの成果を受けとる側の人よりも、より上の、

より価値がある立場なんだ、

という感じが自分の中にあったと書いていたけれど、

たしかに、翻訳で貢献する自分、活躍してる自分、

役に立つ行為者の自分は、役に立ってないときの自分よりナイスで、

価値があり、活躍しない人よりナイスな、価値のある個人になった、

という感じはあった。

聖書で、朝から夕方まで働いた人が、

ほぼ働いてない人と同じ給料だったのを見て怒ったけれど、

雇い主は、多く働いた人にも、あんまり働いてない人にも、

わたしは等しく同じように与えるのだ、と言った寓話があったけれど、

自我は働きや行為を、自分個人の優位な立場、特別な価値を証明する

目的に使うのか。

で、あんまり活躍して貢献しない人より、自分は上だ、

認められて賞賛されるべきなんだという感じになるのか。