呼んでいる胸のどこか奥で

2016年から奇跡講座を学んでいます。デイビッドはDavid Hoffmeister氏で、ワプニック博士はKenneth Wapnick博士てす。MWGEはコース学習者のための映画紹介サイトhttps://mwge.org/ です。

Stillness (虫の話注意)

https://youtu.be/mYSrSEBBTaE 昨日のデイビッドたちのライブ

デイビッドがTabula lasaや、Stillnessについて話していた。Peace を聞くのはいい。受け入れられる。Stillnessという言葉を聞くたび、いつもいつも、微妙な不安感、恐怖を感じる。

自分が子どもの頃からいつも、頭の中でグルグル考えて、マインドがベラベラしゃべっていて、全然stillnessじゃなく、年中無休で雑念満載カーニバルみたいな状況だから、stillnessを激推しするデイビッドやエックハルト、ワプニック博士も、彼らの話を聞くと、「Stillness状態はナイスで、平和で、完璧で自然な状態だが、雑念満載状態は悪くないにしろ不幸せ。エゴ丸出し状態。問題があって病んでる状態だから、改善しなきゃダメなんだよ。」

と、マインドがしゃべらずにはいられない自分に上から目線でダメだしされる気分。

理想とは程遠い自分に。 

なんとなく、漠然とした不安感、落ち着いて無防備ではいられない、こうしちゃいられない感があり、何かを明らかにして理解して、なんとか問題解決したり、何かを思い出したり、未来を段取り計画したり、コースのどこに書いてあったか、自我はいつも何かに忙しくしてるとあったけど、まさにそういう感じ。

Stillnessへ感じる、激しい恐怖というわけじゃないけど、井戸の深い穴を覗き込んだときに感じるような、意識の底流にムオォォ・・と流れてるような恐怖。

中学2年だったとき、はじめて心が完全に止まった経験があった。

(虫が苦手な人は注意)

 

給食を自分の机に配膳して、みんなでいただきますをして、じゃあ食べるか、今日は筑前煮、あんまり好きでもないがまずくはないから、まぁいいか、みたいな気分で、筑前煮の中のジャガイモを箸で掴んで持ち上げた瞬間、ドングリとかの中によくいるのと同じような、

小さな虫の幼虫がいた。死体だった。

ジャガイモを持ち上げたら虫の幼虫がいるというのが、予想外かつ非常にショッキングだった。どんな種類でも、虫の幼虫が嫌いだった。触れやしない。あの生々しい感じ。

その瞬間、心が止まって、完全に静かになって、クラスメイトの女子たちの、大きな声のおしゃべり、騒音が耳にどっと流れこんできた。

新鮮な経験だった。それまでいつも、自分の頭の中でグルグル考えるのに意識を集中して、

外界の声や情報を遮断していた。それが当たり前の状態で、自分でも意識しなかった。心が静かになり、新鮮で、のびのびと教室いっぱいに広がった感じがあり、窮屈な頭の中の思考から、はじめて脱出して解放された、爽快な気分だった。むしろ爽快で幸せだったから、給食に幼虫が混入していたことに対する不満、イライラ、こうでなければどんなによかったか、という感じがまるでなかった。幼虫がそこにいるのに、静かな感謝、湧き上がる嬉しい気持ちさえあった。自分でも何が意識に起こったのか、まるで理解してなかったけど、爽快な気分だった。

かといって、幼虫を食べるわけにはいくまいから、(デイビッドはピザに小さな虫が乗ってたとき、タンパク質と思って食べたらしい。英語の聞き取りを間違えてなければ)

とにかく虫が混入してるのを担任に報告し、指示を仰ごうと思って、担任のもとへ運ぶときも、焦りや、はやくしなきゃと駆り立てられてる感じは全くなく、リラックスして、幸せだった。自分はあくまでも純粋無垢な被害者の立場だから、自分が責任を持って非難されたりする心配はない、というのもあったかもしれない。

担任に報告して、後で、担任の教師から、あなたは動揺しておかしくない状況でも、まるで動揺せずに、落ち着いて適切に対処したから、すごい、みたいに褒めてもらった。かといって、褒めてほしいから動揺するそぶりを見せないようにしていたわけじゃなかった。翌日から、またグルグル思考に囚われた。

なんなんだろう。今、安らいで、心を開け放って無防備にしたら、

何かヤバイ、何か失われる感がある。