皿洗いとプライド
オヤジとケンカして、自分がオヤジに
「いや、そういう価値観は古いなあと思うよ」と言うと、
オヤジはキレて、
「オレは職場でみんなから頼りにされてるし、ITの知識もオレが一番だから、IT関係は全部、あれもこれもオレが面倒見て、オレが管理しとんのやぞ!
風呂掃除もいつもオレがしてる!
どうや、働いたこともないおまえに同じことができるか?
これでもオレが古いって言えるか?」
と、自分が職場で最も優れた行為者、最高に優れた知識を持ってIT関係を
コントロールしている者だ、家庭もオレは貢献してるんだ、
と言っていた。「オレのおかげ」。
Doerと、I know mindの最高のお手本だった。
デイビッドは、コミュニティで、誰かが皿洗いをするとき、
各自が自分で自分の皿を洗うのか、
誰が皿を洗うファンクションを受けもつのかで、話し合いになる、とKenneth Clifford のYouTube のGet real シリーズの動画で言っていた。
どの動画かは覚えてないからわかりません。
そこでデイビッドは、
「皿洗いは、決して小さな事ではありません。大きなレッスンです。
行為者として皿洗いをするのであれば、そこにはプライドがあります。」
と言っていて、「たかが皿洗いがプライド?マジ?」と感じた。
自分はときどき皿洗いをするけど、言われてみれば確かに、
「自分は皿洗いによって、役に立ってる、自分の価値を証明してる」
感じはある。皿洗いと言う義務を果たせば、他人から肉体レベルの貢献を認められ許される。
働かないのは、この社会では罪だから、皿洗いをすれば、咎めと非難から、免除されるという感じはある。
「皿洗いしたオレのおかげで、みんな助かったんだから、
オレを認めろよ」という感じ。
のりこさんたちのリトリートや撮影でも、のりこさんが、
「自分のおかげ」と思わないほうがいいと言ってたらしいけど、たしかにそういう、
「オレのおかげでみんな助かったんだから、オレの行為を認めてくれよ!ありがとうとか言ってくれよ」というのは、無意識にある。