呼んでいる胸のどこか奥で

2016年から奇跡講座を学んでいます。

皿洗いとプライド

オヤジとケンカして、自分がオヤジに

「いや、そういう価値観は古いなあと思うよ」と言うと、

オヤジはキレて、

「オレは職場でみんなから頼りにされてるし、ITの知識もオレが一番だから、IT関係は全部、あれもこれもオレが面倒見て、オレが管理しとんのやぞ!

風呂掃除もいつもオレがしてる!

どうや、働いたこともないおまえに同じことができるか?

これでもオレが古いって言えるか?」

と、自分が職場で最も優れた行為者、最高に優れた知識を持ってIT関係を

コントロールしている者だ、家庭もオレは貢献してるんだ、

と言っていた。「オレのおかげ」。

Doerと、I know mindの最高のお手本だった。

 

デイビッドは、コミュニティで、誰かが皿洗いをするとき、

各自が自分で自分の皿を洗うのか、

誰が皿を洗うファンクションを受けもつのかで、話し合いになる、とKenneth Clifford のYouTube のGet real シリーズの動画で言っていた。

どの動画かは覚えてないからわかりません。

そこでデイビッドは、

「皿洗いは、決して小さな事ではありません。大きなレッスンです。

行為者として皿洗いをするのであれば、そこにはプライドがあります。」

と言っていて、「たかが皿洗いがプライド?マジ?」と感じた。

自分はときどき皿洗いをするけど、言われてみれば確かに、

「自分は皿洗いによって、役に立ってる、自分の価値を証明してる」

感じはある。皿洗いと言う義務を果たせば、他人から肉体レベルの貢献を認められ許される。

働かないのは、この社会では罪だから、皿洗いをすれば、咎めと非難から、免除されるという感じはある。

「皿洗いしたオレのおかげで、みんな助かったんだから、

オレを認めろよ」という感じ。

のりこさんたちのリトリートや撮影でも、のりこさんが、

「自分のおかげ」と思わないほうがいいと言ってたらしいけど、たしかにそういう、

「オレのおかげでみんな助かったんだから、オレの行為を認めてくれよ!ありがとうとか言ってくれよ」というのは、無意識にある。