呼んでいる胸のどこか奥で

2016年から奇跡講座を学んでいます。デイビッドはDavid Hoffmeister氏で、ワプニック博士はKenneth Wapnick博士てす。MWGEはコース学習者のための映画紹介サイトhttps://mwge.org/ です。

『バケモノの子』

人からの勧めで観た。

劇場公開された時は、なんか観に行く気にならなかった。

「いい作品」の匂いは宣伝から伝わって来てたけど、

親子テーマのいい作品っぽすぎてなんかなー、みたいな感じだった。

公開されてもう何年も経つけど、

観たらいい作品だった。

最初の異世界の街に迷い込むシーンはやっぱり

千と千尋を思い出した。

父と息子。

熊轍が父にソックリだった。

百秋坊というバケモノが

「熊轍はひとりだけで強くなった。

誰の教えも聞かずに。

だから戦い方がひとりよがりで

相手のことを考えられないし、

他人のアドバイスが聞けないんだ。

それがあいつの才能であり不幸だ」

というセリフを聞いた時は、

父にしか見えなかった。

最初から他人より強かったから、

他人に頼らずとも生きてこれた男。

だからそれ以外の生き方ができないし

コミュニケーションが一方的に怒鳴りつけるだけ、

なのも全く同じ。

自分の弱いところを見せられない不器用さも。

一郎彦という人間の超能力者の男の子は、

赤ちゃんの頃に渋天街の名士のイノシシ獣人に拾われて育てられて

「人間の自分は父みたいな強い頼りにされるバケモノになれない」ことに悩んでいた。

父のようには強くはなれない自分。

一郎彦はバケモノであることにこだわり続けたけど、

九太は意外にあっさりと人間の世界に帰る。

今思うと一郎彦は父のように人間として頼りにされる

強い人間になりたかった自分と重なる。

一郎彦の闇って、「自分ではない何かにならなければ」

と思い込み続けたことなのか。

一郎彦は親が自分を捨てたからなのか人間を見下して憎んでいた。

バケモノになれないありのままの人間としての自分が嫌で、

人間であることを嫌って拒絶し続けてた。

それが闇だったのか。

楓が闇に飲み込まれそうな九太に言った「誰にでも闇はある、

私だって。それでももがきながら生きてる」というセリフは

なんかみんな同じ、

みたいなのに触れた感じがしてよかった。

 

 

そう言えば、『ミライの未来』の

不思議な廃墟の中の木が渋天街にもあって

お!とちょっと嬉しかった。

細田監督、いい作品を作ったなーと思った。

インタビューで、

「田舎じゃなくて都会を舞台にした冒険を」

と監督が言っていたけど

確かにバケモノたちのファンタジー世界から

九太が役所に行ったり人間の普通の世界に行き来しているのは

不思議な感覚だった。

無垢さ・愛らしさと弱さの感覚と攻撃

テキストには自我は愛を弱さに結びつけて考えて、

攻撃を強さだと考えるけどそれは本当は逆である みたいな文があったけど、

確かに、

「自分が愛らしい存在としてひたすら愛されている」

のを受け入れたら何か自分が弱くなる感じがする。

誰かからかわいいとか愛しているとかそういう言葉をもらう時も、

自分が何か子どもらしいというか

相手にとって脅威になる攻撃力やパワーがない存在として扱われる

というか。

ワプニック博士が「自我は神への攻撃や破壊を信じることで、

自分は神よりも強いパワフルな存在だと感じている。

なぜなら愛には攻撃や破壊する力はないから」

と言っていたのが妙に腑に落ちた。

弱い犬ほどよく吠えるというけど、

自分もそうだけど誰かが必死に獰猛に攻撃的になるのは

何か外敵に対して自分が弱く無力な脆弱な存在であるみたいな

感覚を感じて、心もとない不安を感じて

「私は無力じゃない。あんたを傷つけて攻撃する力があるんだ!」

みたいな感じで

必死に獰猛で攻撃的な自分を演じるわけで。

ゲイリーレナードの本に

磔刑にかかったイエスを槍で突いたローマ兵が

エスが全く苦しまないのを見て

怒ってさらにイエスを攻撃したけど

それでも全くイエスが苦しまないから理解できずビビったみたいな

内容があったけど、

「あなたは全く攻撃力や罪を犯す能力が全くない

完全に愛と無垢さでしかない存在です」

っていう目で見られたら、

自我のプライドからしたら

ムカつくというか侮辱されたみたいな感じ。

相手より下に見られているというか、

自分の破壊力・攻撃力・強さを否定されたみたいな。

 

小学生の頃、親が共働きだったから民家の託児所

にいた時、

3歳くらいのイタズラ好きな男の子がハサミでテーブル掛けを切り刻むというかなり

危ないイタズラをした時、

こっぴどく怒られて泣くことになるのは分かりきっているのに

なんでこんな悪さを繰り返すのかと不思議だったけど、

「自分は罪を犯せるし、大切なモノを破壊して傷つけて

神を怒らせるパワーがあるんだ」というのを

確認してスリルを味わうというか、

ある種の勝利感を味わっていたのかって。

学生の頃授業中に落書きしたり警察のお世話になった時の自分も同じ

ような心境だった。

これが間違いであることを教えてほしい。

 

 

加藤諦三氏の本

加藤諦三氏の本は昔から家の本棚に一冊あった(今は見つからない)

から、小学生の頃に『甘えの心理』みたいな

タイトルの文庫本を少し読んだ。

加藤さんが子どもの頃、

確か末っ子だったかで、

親や兄弟の怒りや感情のはけ口にされていた、

みたいなことが書いていて

読んでいて辛くなって以来読まなかった。

でもある男性が自分の無価値感や自己嫌悪から

女性が自分を嫌うと思い込むとか、

そういう実際の具体例が書いてあってそれは

小学生ながら目からウロコみたいな

ある種の解放感と感動を感じていたのを覚えてる。

数日前にAmazonで以前Paidyの設定をしていたから

Kindle本を買えることにやっと気づいて、

気になる漫画やら本のサンプルを見ていたら、

加藤諦三氏の『あるうつ病のD氏の例』みたいな本があった。

なんか自分がうつ病という自覚があるせいかワードに引かれて

サンプルを読んだら、

うつ病とは隠されて遠回しに表現された

憎しみと復讐心である」

とあって、

まさに図星みたいな感じだった。

直接、身の回りにいる人に怒りや憎しみを表現するのが

嫌で怖いから、

病気とかうつ病、無視したり冷淡になることで遠回しに表現する。

かわいそうな自分になって、

「あなたのせいでわたしはこんな有様なんだよ。

あなたは罪悪感を感じるべきだよ」

っていうやつ。

4ヶ月風呂に入れなかったのもこれだった。

自分を否定し続けて全く分かろうともしない両親への

怒りや復讐心を、

4ヶ月風呂に入らないことで遠回しに表現していた。

本のサンプルには、

「自殺もほとんどは復讐心と攻撃性の表現」

とあったけど、これも納得。

「身の回りの人への怒りと憎しみを自覚することが

答えである」って、

コースと同じじゃんってなった。

母も怒りを遠回しに表現する人で、

父や妹はハッキリ怒りを表現する性格。

実際、父や妹は活力に溢れていて

母や自分はそうじゃない。

ビルが怒りを抑圧するタイプで、

鬱や無気力感に悩まされていたのも同じ。

教師のマニュアルに

「病気とは赦せない気持ちである」みたいな文があった。

 

 

抑圧キャへの見下しと分析・底に詰まってたヌカ の夢 

 

自分の心で何が起こっているか、

自分では実は分からないんだと

最近ある人から教えてもらった。

自分の性格とか精神面のことは自分が一番よく分かってるってつい無意識に

思うし、思ってきたけど

実際には逆で、

抑圧した自分の心は自分では全然見えてないし

感じ取れなくなってる。

なんかそれを最近はことあるごとに実感させてもらってた。

 

今朝、不思議な夢を見た。

年上の従姉妹と結婚した男性がいて、

つまりは何歳か年上の人なんだけど、

その人の人格や性格について自分がリビングで

「この人はこれが苦手だからこう」みたいな

自説を妹の前で話していた。

夢だからもう詳細は覚えてないけど。

今振り返ると

自分は理解したことについて得意げというか

見下すというか何か勝ち誇ったような感じ、

悦に入ったような感じで

その従姉妹の旦那さんへの分析をしていたけど、

その時はやはり自分では気づけなかった。

実際には自分の苦々しい感情から逃げるために

外側の他人の自我に注目してたけど、

単に自分の理論というか分析が正しいのを

感じながら話しているみたいな意識だった。

そんな感じで自分が話していると、

妹が、

「そんなことばかり話すならもう、

りょうくんは次話したら部屋から

出ていってもらうね。

それに、そういうことを話すときって、

大体ヌカみたいなのが詰まってるんやから。」

と突然ズバッと言って来た。

何か自分を否定されたというか

「俺の分析は正しいのに、何でそんな事言うの」

みたいな気分になったけど、

「ヌカが詰まっている」のところで何か

胸に響くというか確かにそうだと感じた。

今振り返ると従姉妹の旦那さんに対する劣等感・無価値感・羨ましさ

があった。

で、その惨めで苦しい感情を抑圧して

優越感にすり替えるために

カテゴライズというか分析してた。

旦那さんは「元野球部・サーフィンとバーベキュー大好きで色黒、

見た目も短髪の男前」で、

野球部にしては大人しく物腰が柔らかい性格だけど

ノリはやはり夏のビーチでバーベキューというか、

野球部でサーフィン大好きな感じだった。

従姉妹も性格が人一倍明るくてスポーツ大好きだったから

まさにお似合いだった。

旦那さんは決して性格が悪いという感じではなくて

むしろ爽やかだったけど、

この人に対して自分が

苦々しい劣等感・無価値感を感じていた。

自分が持っていない野球やサーフィンから連想される健康的な男らしさとか

色黒の常夏ビーチバーベキュー的な陽キャっぽい長所、

肉体が健康で強くないとできない仕事で働いて稼いでるところとか

父もそうだけどそういう

陽キャの男らしい肉体的・精神的頑強さ」みたいなものに対して。

従姉妹と結婚した時、

性格的に2人はウマが合うのは分かっていたけど

「やっぱり従姉妹はこういう常夏ビーチでバーベキュータイプの色黒イケメンが

好きなんだよな」みたいなある種のひがみ・いじけみたいな

ものも感じていた。

で、夢の中で従姉妹の旦那さんへの分析を得意げにしていた時は

まるで忘れて気づかなかった。

妹に言われるまでは。

自分が何か意固地になったり

自分の意見とか他人への投影を話している時は

自分では気づかないけど、

妹みたいに他人から見たら「明らかに何か腹に抱えている」

のが感じられるんだと思う。

妹は優しい時は優しいけど自分の意見をハッキリ言うタイプで

ちょっとフランセスに話し方が似てるけど、

夢の中の妹は心を見抜く才能があると

夢の中の自分は本気で思った。

 

陽キャへの感情 環境の被害者

なんか腹から湧き上がるものがあって、

書きたくなった。

保育園からずっと休み時間にサッカーとかやるような

運動が好きなタイプの男子とかに混ざりたいけど混ざれないという

悲しみ・寂しさ・憧れと、

同時に

野蛮って言うか理性がないっていうか、、

頭が悪くて内面的な繊細さがない、乱暴というか野生的というか

人間より猿みたいで

自分と心から分かり合えない、理解し合えない存在だよな、

と見下すように感じてた。

わかり合えないフラストレーション、

何で自分みたいなタイプの男子が全然いないのか?

みたいな寂しさと不満の気持ちだった。

父もそういうタイプ(野球・サッカー・剣道・バスケやってた)だけど。

 

幼稚園や小学生・中高くらいは、

陽キャグループは理性・分別がなくて自分の気持ちや感情を配慮する繊細さや

優しさ、感性の深さみたいなのがない、

本能の欲求や衝動に従うだけの動物みたいな人間で、

平気で自分の気持ちや心を傷つけられたり

自分が痛い感情や辛さを感じさせられる加害者というか

危険な存在・脅威として見ていた。

本当に猿のグループに近い。

デイビッドがよくモンキーマインドと言ってたけど。

それで自分が弱く無力で無価値・情けない、

ちびまる子ちゃんの大野杉山にビクビクする

ひたすら臆病で情けない藤木くんみたいな感じだった。

男子の雰囲気で仲間グループを作る彼らに羨ましさもあり、

軽蔑もするみたいな。

小学校では田舎だから男子が少なく、

一クラスに9人だけだった。

少し気が合う子が1人か2人いればいい方だった。

絵が上手いとか大人びているとかの。

猿タイプの人間はフランクさがあるけど、

仲間が簡単に見つかっていいよなあとも

思ってた。

猿タイプってポケモンみたいだけど、

自分で書いていてすごいカテゴライズ・見下しだなと笑った。

自分だって猿みたいなところはあったのに。

思い出す感情は、やっぱり寂しさ。

自分から話しかけようにも、

到底わかり合えそうにないしなあ、、

と途方に暮れていた。

男子のノリで、自分と険悪になって喧嘩しても

いつの間にか風化して家に呼ばれて遊んだこともあったけど、

何かやはり仲良くはなれなかった。

自分がもっと心を開けば違ったのかもだけど今は分からない。

感情に沈んで見ようと思って書き出したんだけど、

1番下にあった感情は

「俺も仲間に入れてくれよ!寂しいよ。

仲間がいる暖かさや安心・幸せを感じたいよ。」

だったかもしれない。

その感情はひどく惨めで自分が心細く無力に感じるから

猿人間みたいに見て見下したりして

ちょっと自分の強さを取り戻したつもりになって

寂しさをごまかしていたのかな。

なんか深い感情に触れた感じはする。

高校になるとやはり分かり合える人が増えてだいぶマシになった。

塾でも仲間たちがいる暖かさがあった。

小学生4年くらいまでの頃は女の子と混ざって遊んでたけど、

結局今もそうで、

父も含めて男らしい男・陽キャの男たちとは

ある程度以上分かり合えるコミュニケーションが成り立たない。

今年の初め頃の勉強会に

ももこさんにメールしたのも、

その時は自分ではわからなかったけど

やっぱり寂しさ、誰かと話せる暖かさ・安心を感じたかった。

このストーリーというか知覚について別の見方を教えてもらうのは

これから。

自分は男子が少ない環境で内向的な性格だったから

いつも寂しさや疎外感を感じていたんだ!

と言い晴れるというか、

何かかわいそうな子どもだったことを胸を張って証明できる

奇妙な歪んだ嬉しさがあるのに気づいた。

フフフとニヤリほくそ笑むような感じ。

それに気づけて嬉しい。

 

https://jacim.com/acim/?p=6723

去年だったかに父と喧嘩した時。

父が自分が働かず、

実家に引きこもっていて年金などを払えないことを

蔑んで侮蔑するような言葉を楽しそうに目の前で言い始めた時、

自分は恥や屈辱、傷ついた感情・怒りやムカつきを強く感じた。

今思えば、働いておらず年金などを払えない罪悪感・無価値感

を感じさせられるというか思いださせられたことに

屈辱や怒りを感じたのか。

それで、瞬間的に父にやり返そうとした。

父がやったのと同じ、

相手の罪悪感や無価値感・自己嫌悪を刺激して思い出させようとした。

具体的には、父が職場で経験していた後輩へのパワハラ問題について

父に罪悪感を感じさせられるような発言をした。

 

お互いに憎みあって罪悪感を強化し合っていた。

なんか最悪な心を相手から引き出してやろう、

みたいな妙な喧嘩を楽しむ気持ちもあったけど、

それは悲しみや喧嘩へのウンザリさを隠していただけかも。

相手に一方的にひどいことを言われて傷つくという

惨めで屈辱な状況だけは避けたいから、

なんとか相手に反撃する意欲を保とうとしていたというか。

誰の中にも、これと同じ心の動きがあって、

そのどれもが異物というか嘘なのか。

ビルとヘレンを思い出す。

 

父が帰ってくると、

剣道有段のガッシリした体型で常に手足とかの筋肉に強い力を入れるから

郵便受けやドアがかなり大きな音を立てる。

それを聞くと毎日体内で少し恐怖が感じられる。

JACIM質問99の、相手が自分を攻撃したと思う時は

自分が相手を攻撃している時だ、とあったけど、

父に恐怖を感じるということは

父を攻撃した・しているという信念や自覚があって

報復されるって思っているのか。

あと質問99を今見たら

攻撃の想念について

平安のツールと言っていることが同じだったんだ、と気づいた。

イヤホンがなくて激憤

イヤホンを使おうと思って、

自分がさっき置いたと思った場所を見たら、ない。

あれ?と一階に戻ってバッグやズボンやジャンパーのポケットを

見てもない。

焦ってくる。

もうすぐ人と話すのに、イヤホンがないと不便になる。

おかしい。

必ずあるはずなのにない。

焦りと怒りを感じはじめてるのに気づいた。

エス、今、怒りを感じてます。

俺かなり怒ってるな。

で、頭の中で平安のツールをちょっとやった。

Eはイヤホンが見つかること。

Aはイヤホンが見つからないこと。

AとEにギャップがあるから、

動揺して怒りが正当化されていて、

C2 イヤホンなしで話すことになるのを嫌がって恐れている。

電話を手で持ちながらだと手が疲れる。

 

ここでイヤホンがなくても大丈夫と考えればいいのかな?

と思った。

思い切ってEが不可欠だという考えを手放してみるか、と思って。

それで少し怒りが落ち着いて、

やっぱりズボンとかジャンパーのポケットに入れたはずなんだよなぁ

と思いながらジャンパーのポケットを探したら、

あった。

終わって見たら、

イヤホンが見当たらないだけで激憤していた自分が

なんか不自然というか、

大したことないのにそんなにキレていたのが

奇妙に感じた。

結局イヤホンはあったのに。

勝手に1人で焦って怒ってた。

のりこさんは前、状況に対して感情が強すぎて釣り合わないよね、

と言っていたけど。

こんなことがちょくちょくある。

自分の思い通りに行かない、

自分の思う必要が満たされないと激憤が始まる。

Dは筋肉の疲れや小さなわずらわしさをなんとか

イヤホンで防がなくてはならない自分。

祈ったりする意欲はちょっと出なかったけど、

少しずつ間違えていることを望めるかな。