呼んでいる胸のどこか奥で

2016年から奇跡講座を学んでいます。デイビッドはDavid Hoffmeister氏で、ワプニック博士はKenneth Wapnick博士てす。MWGEはコース学習者のための映画紹介サイトhttps://mwge.org/ です。

『アバター2』 あばたにえくぼに捕鯨

アバター2 を今日見た。

自分にとって感情が来たのは

捕鯨を描写したシーンだった。

海の民の聖なるクジラみたいな生き物を

軍人や密猟者が銛とか爆雷

捕獲するシーンで、いかにも残酷で卑しいワルモノたちが

優しい知的なクジラさんたちを手にかけるという感じ。

その捕鯨の船の腹に「日捕」とわざわざ漢字で書いていて、

捕鯨の潜水チームにも日本人っぽい女性をわざわざ

使っていて。

まるで自分には映画の製作者が「日本は捕鯨してんだよ。

捕鯨といえばやっぱり日本だよね。

日本はこういうヒドい残酷なことをしてんだよ、

アバターをご覧の世界の皆さん😏」

みたいな感じで日本をイヤらしく風刺しているように感じられて、

イラッと来た。

「オーストラリアとかはカンガルーを毎年駆除してるし、

牛とかもなのに何でクジラだけ槍玉に上げて

罪悪の投影先にするんだよ?」とか怒りと不満の思考感情が上がっていたけど、

第一感情は日本を風刺された・日本の罪を晒されて恥ずかしい・

屈辱・惨め・動揺させられる自分が無力で弱い感じ・苦しい、

だった。

それが瞬間的に怒りの力動になって

↑の思考感情になってた。

自分の苦しい恥と罪悪感から怒りに移行して外側を責める

パターン。

直子さんが最近受け取った心の図を教えてくれた通りだった。

自分の中の苦しい不快な嫌な感情から逃げるために

怒りとか思考に逃げ込んでグルグルループするやつ。

 

自分の中に捕鯨に対する恥・罪悪感があるのがわかると、

日本の捕鯨を裁いてクジラを可哀想だと見ていたのは

映画の製作者じゃなくて自分だった。

自分が捕鯨を裁いて罪悪感と恥を感じていたから

それが映画でトリガーされたけど、

映画のせいにしてた。

まさに平安のツールの文章通り。

動揺の原因を外側に見て自分は動揺について無力でいようとして、

その実動揺を生み出す信念へのしがみつきという決断は

温存する。

自分のジャッジを相手に投影するから。

捕鯨に対して裁いてたのは自分の心だったし、

それについて間違えていたいって

祈るのは自分だった。

でも、やっぱり弱いところや恥を突かれると

最初は怒りに行くんだよなと思った。

あと一緒に映画を見た友人は全く捕鯨と日本を風刺する描写に

気づいてなくて。

その人は日本が捕鯨で批判されがちなことも知らなかったし、

自分が捕鯨でイライラしたのに

まるで反応せずに風刺に気づかなかったので

捕鯨の風刺は自分だけの知覚だったのか、

みたいな気分になった。

 

脚本はまあこんなもんかな、みたいな感じだったけど

キリ?っていう主人公の娘のナビと人間のハーフの女の子は

デザインも性格や心理描写もすごく良くて、

繊細で深い内面や複雑さをリアルに表現してて

すごく魅力的なキャラクターだった。

キリは最初からなんとなく好きだったけど、

とにかく魅力的だった。

キリはアバター2の深みや窪みを表現する魅力的なえくぼだった。

ちょっとした奇跡と見えない心のつながり

前にもちょっと書いたけど、

先月、勉強会での自分の心が

ひどくズルくて卑しく醜く、、自己中心的だったように感じて

自己嫌悪と自己憎悪が強烈に上がって来て

かなり苦しんだ。

全員からなんて醜いやつだと嫌悪感を感じられたに

違いないと強烈に罪悪感・深刻なやつをやっちまったと感じて

あまりにも苦しいので

頭の中で直子さんが教えてくれた通りに

これについて正しくありたい欲求を手放します、

とやったら

勉強会の時の「醜い自分の感覚とイメージ」は

自分じゃないんだ、

勉強会の録画に醜い心の自分の醜い様子が消えない罪みたいに

残ったと思ったけど、

録画自体は何の問題でもなくて

自分が醜い心だと信じてたのが問題だったって

なんか突然わかった感じがして、

急に思考が止まって

誰に何と思われるても全く自分の心の状態には影響がなくて

力は内側にあったんだ、

と突然強烈に体感した。

皆が自分を嫌ったはずだと思って

皆に明け渡した力が突然一気に自分の心に返って来た感じで、

平安のツールの文章にある通り、

今まで自分が無力に感じていたのが、

突然めちゃくちゃ心が強くなったみたいな感じで。

こんな経験は今までの人生ではなかった。

誰かに伝えたくなって、直子さんにメールした。

その翌日、きりこさんたちのシェア会に参加した方がいいかな?

みたいに感じて

久しぶりに参加すると、

Zoomのルームに入ったらきりこさんしかいなくて、

きりこさんが自分の顔を見るやいなや

パッと驚いたように笑顔になって、

「りょうさんの声が昨日聞こえたんです。

もうすぐこうやって会えるって感じてました!」

といきなり話してくれた。

自分が「知覚が変わったんですよ!」ときりこさんに

話している声を心で聞いていたらしくて。

きりこさんは以前から自分が苦しみに行き詰まっていると

なんとなく感じて声をかけてくれたりしてくれて

霊感があるんだと思うけど、

本当に見えない心のつながりってあるんだなあと感じた。

前も書いたけどきりこさんが聖霊のメッセージを受け取って伝えてくれた

ことも何度かあって。

聖霊っているのかなとその度に感じていた。

しばらく前に父が『きりこについて』(著:西加奈子)

という小説を買って来てリビングの小さなテーブルに置いていたのに

気づいたんだけど、

ちょっと偶然とは思えない。

ビルやヘレンもこんな経験があったと

『天国から離れて』にあって

リビングミラクルズでもだんだん皆テレパシックになると

言ってたけど、

本当にそうなんだな。

デイヴィッドは、「全ての人との心の繋がりを体験するには、

私的な考えを持てるという信念を手放すこと、それだけです」

と言っていたけど。

ありがたい経験だった。

 

ちょっと俺ドヤってるかな笑。

 

引き留める声

誰かが心のままに正々堂々と生きると、

誰かがトリガーを引かれて怒ったり傷ついたりして、

自分のせいだとか自分が間違えてるからと

罪悪感に沈んだり。

 

デイヴィッドたちがビザをとりやすくなる都合で

リビングミラクルズを法律上の手続きで教会にした時も

「教会なんてとんでもない。宗教組織にするのはありえない」

という声が内外からたくさん上がったらしい。

自分が大学を辞めたのも、

リサやジェニーが子どもから離れる時も、

「そんなのとんでもない。許されるわけがない」

という声を身内から聞いたらしい。

フランセスは夢で当時離婚やアメリカ行きに反対していた旦那さんが

この道に行くのを応援してくれたり

ジェニーさんはアメリカ行きに反対していた両親の

聖霊バージョンの天使が部屋に来て応援してくれたらしい。

だから引き留める声を深刻に受け止めなくていいのか。

 

信念を握り締める超絶握力

無価値感って言葉、最初にUnworthinessっていう言葉で

デイビッドが話したのを6年前くらいに聞いた時は

ピンとこなかった。

わかるような分からんようなで。

心屋さんも同じようなことを話していたけど。

『天国から離れて』でもビルが

「自分だけは普遍的な愛から除外される」信念を持ってて

エスはそれを誤謬と言ってたけど

万力のような力で自分は裁かれるとか見放されるっていうのを

ガッチリ握っているんだなと感じる最近。

教室

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ある人が朝、夢の中で見たと教えてくれた。

コースではこの世界や人生は教室だということになってるから

ちょうどいいと思った。

ワプニック博士が「時には誰かに間違いをさせてあげるのが

最善なこともあります。

だからイエスはヘレンが間違いをするのを止めませんでした」

と言っていた。

ハリポタのハーマイオニーみたいに

小学生の頃は自分はいちばん意見を発表する子で、

先生から「あなたは発表しすぎるからいったん発表はおやすみね」

と言われたぐらいだった。

自分もだけど、

確かに勇敢に発表するけど間違えたというかずれた答えを言う子もいた。

 

やっぱり人間関係とかお金とか絡むと、

失敗できない精神状態になる。

失敗には深刻な結果が伴うように感じる。

自分や相手が傷つくとか損失だとか、、

そうして防御的になる。

子どもの頃を思い出すか。

 

プライドを優先してた

プライドが破れて惨めさ・情けなさ・屈辱・恥を感じるのが嫌だったから

大学の時に相手から逃げた。

自分の心を守ろうとして。

今でも同じことやる。

でも、それが上がってきても気づいていけばいいか。

シパシパの実の失敗人間

本田圭佑が、「失敗したら痛い思いして傷つくけど、

失敗しまくってる人間の方が魅力的なんで。」と

何年も前の講演で話してたけど、

それは確かにそうだよなと感じた。

リビングミラクルズやコース関係の人たちに

魅力や親密感・暖かさを感じるのは、

やっぱり皆自分のカッコ悪いところとか失敗とか

本来なら恥ずかしい感情とか隠さないからで。

キレイな平坦な道・あまり失敗したりしない

安定した安全な人生の話よりは

のりこさんが言ったようにドッタンバッタンして

沈んで落ち込んだかと思えば幸せを感じたり

いろいろある人の話しのほうが面白い。

デイヴィッドたちもそうだけど、

のりこさんは初めて話した時に

「この道は成功を積み重ねてこうスーッと行くんじゃなくて、

ドッタンバッタンしながら歩くんですよ」

と言ってくれたけど、

それを聞いた時は安心したし、

あーっと胸が広がる感じがした。

最近、なんか自分がいろいろな感情、

恐怖も愛も恥も幸せも安心もいろいろ感じて、

なんか真っ当な人間らしい生き生きした人間

になってきた、みたいな感覚がある。

 

タイトルはゴムゴムの実のゴム人間のもじり。