呼んでいる胸のどこか奥で

2016年から奇跡講座を学んでいます。デイビッドはDavid Hoffmeister氏で、ワプニック博士はKenneth Wapnick博士てす。MWGEはコース学習者のための映画紹介サイトhttps://mwge.org/ です。

無垢さ・愛らしさと弱さの感覚と攻撃

テキストには自我は愛を弱さに結びつけて考えて、

攻撃を強さだと考えるけどそれは本当は逆である みたいな文があったけど、

確かに、

「自分が愛らしい存在としてひたすら愛されている」

のを受け入れたら何か自分が弱くなる感じがする。

誰かからかわいいとか愛しているとかそういう言葉をもらう時も、

自分が何か子どもらしいというか

相手にとって脅威になる攻撃力やパワーがない存在として扱われる

というか。

ワプニック博士が「自我は神への攻撃や破壊を信じることで、

自分は神よりも強いパワフルな存在だと感じている。

なぜなら愛には攻撃や破壊する力はないから」

と言っていたのが妙に腑に落ちた。

弱い犬ほどよく吠えるというけど、

自分もそうだけど誰かが必死に獰猛に攻撃的になるのは

何か外敵に対して自分が弱く無力な脆弱な存在であるみたいな

感覚を感じて、心もとない不安を感じて

「私は無力じゃない。あんたを傷つけて攻撃する力があるんだ!」

みたいな感じで

必死に獰猛で攻撃的な自分を演じるわけで。

ゲイリーレナードの本に

磔刑にかかったイエスを槍で突いたローマ兵が

エスが全く苦しまないのを見て

怒ってさらにイエスを攻撃したけど

それでも全くイエスが苦しまないから理解できずビビったみたいな

内容があったけど、

「あなたは全く攻撃力や罪を犯す能力が全くない

完全に愛と無垢さでしかない存在です」

っていう目で見られたら、

自我のプライドからしたら

ムカつくというか侮辱されたみたいな感じ。

相手より下に見られているというか、

自分の破壊力・攻撃力・強さを否定されたみたいな。

 

小学生の頃、親が共働きだったから民家の託児所

にいた時、

3歳くらいのイタズラ好きな男の子がハサミでテーブル掛けを切り刻むというかなり

危ないイタズラをした時、

こっぴどく怒られて泣くことになるのは分かりきっているのに

なんでこんな悪さを繰り返すのかと不思議だったけど、

「自分は罪を犯せるし、大切なモノを破壊して傷つけて

神を怒らせるパワーがあるんだ」というのを

確認してスリルを味わうというか、

ある種の勝利感を味わっていたのかって。

学生の頃授業中に落書きしたり警察のお世話になった時の自分も同じ

ような心境だった。

これが間違いであることを教えてほしい。