呼んでいる胸のどこか奥で

2016年から奇跡講座を学んでいます。

Killer instinct

Buddha at the gas pump とかにも呼ばれたコース教師の

Kate grieves さんが、

動画で「私は若い頃テニスとかスポーツが得意で好きだったけど、

プロになろうとは思わなかった。

なぜならKiller instinct がなかったから」

という趣旨のことを言った。

ケイトさんの口からなんか物騒な響きの言葉が出たのが印象的で、意味を調べたらhttps://ejje.weblio.jp/content/killer+instinct

"殺害本能;(人を傷つけてでも)成功したいという欲求"

という意味だった。

スポーツとかゲームとか商売とかあらゆる競争の場で、

何がなんでも自分が勝つために、相手を負かすために非情になりきれる、

みたいな感じ。

自分がゲームする時でもそう。

何がなんでも勝ちたい。

負けたら悔しく、屈辱を味わうから、相手を情け容赦なく攻撃する。

画面の中でキャラクターがドンパチするだけでも、

攻撃することに快楽というか楽しさを感じて、心は殺意に満ちている。

まさにテキストにあるプライド・快楽・攻撃。

サッカーの大久保さんが取材された時、

「ぼくは普段は家庭では優しいけど、

いつもコート内の自分でいたら、警察に捕まるかもしれない笑。」

と言ってた。

コート内では体をぶつけあって戦うので、

勝ちたさというか相手をなぎ倒す殺意を剥き出しにして戦うんだろうか。

ワークブックのどこかに、

「あなたは自分の内側には邪悪さや闇が満ちていると信じている」

とあって、

『神の使者』では無意識は狂気や殺意や罪悪の魅力に満ちていた、

夢の中ではゲイリーは血みどろの残酷な夢を見ていた、みたいな

ゲイリーの言葉があった。

Identity という映画では、

多重人格で生まれた複数の人格の中で、

女性の人格や主人公の人格など、優しく正気な人格もあったけど

殺人を心底楽しんでいるような、まさにキラー人格みたいなのがあった。

あの多重人格の中には、

まさにテキスト31章にあった「無垢の顔」と「兄弟を殺害する血まみれの顔」

が両方ともあった。

分離の想念から殺人とかその他あらゆる攻撃の想念が投影されたとあったけど、

自我は神を裏切って破壊して、殺害したと信じる分離と攻撃の

罪悪の魅力を心底楽しんで、

その後でヤバいことをやってしまったという

絶望感や後悔や罪悪感を感じたのかもしれない。

それと同じことを自分はゲームという形でしょっちゅう繰り返している。

『奇跡講座入門』では、

私たちは自分の罪悪感をなすりつけて他人を責めて怒る時、

自分を正当化して罪悪感を忘れられるのが気持ちいいから

怒りの気持ちよさに酔いしれて大満喫してしまうけど、

そのしばらく後で罪悪感や後悔といった心理的苦痛に苛まれる、

なぜなら自分が不当に相手を攻撃したのが分かっているから、とあったけど、

まさにそれと同じ「気持ちよさから実行して後で後悔」というパターンを

原初の分離でもやったのかな。

食欲とか性欲でもこの

「気持ちよさとか欠乏感を満たそうとして、

その後で罪悪感や後悔や恥を感じる」というパターンだ。

のりこさんが勉強会で言ってくれたように

「それは罪ではなく間違いで、罰や咎めではなくて

愛のある訂正を必要としている」ことを思い出したいのだけど、

いざ罪悪感でパニックになると動揺した世界観にすっかり囚われて

思い出すことも難しい。

誰かやメッセンジャーグループに話したり、助けを求めることも学びたい。