呼んでいる胸のどこか奥で

2016年から奇跡講座を学んでいます。デイビッドはDavid Hoffmeister氏で、ワプニック博士はKenneth Wapnick博士てす。MWGEはコース学習者のための映画紹介サイトhttps://mwge.org/ です。

2つの見方 月

ミヒャエル・エンデの言葉で、

望遠鏡が月の美しさを破壊した みたいなのがあった。

科学の発達で月は命がない砂や岩や無機物の塊になった。

昔の人にとっては月は遠くに見える美しい神秘だった。

科学や唯物論が人が生きる意味を無機質化して

現代を砂漠みたいにした、

だから心に触れる意味や神秘を伝えるファンタジー小説をぼくは

書くんです。

みたいな感じだった。

 

最近、2つの見方が心の中にあるのを感じてた。

生きる気力がなくなると、

全ては無意味で人はただ虫や微生物のように生まれては

しばらく苦しんで死ぬだけだ、みたいな

唯物論的な見方・心境になった。

全てはただの無機質な流れで、何の意味もない、

ニヒリズムみたいな感じ。

人間がいう愛とか希望とか繋がりとかそんなのは

人間の意識の中だけで感じられるフワフワした実体のない

まやかし。

最後にはみんな死ぬだけだみたいな感じで

全ては人間が月を神秘化したみたいな

意味の後づけが無ければ無意味だみたいな感じ。

なんか生命がない砂漠のようで、

無味乾燥な感じの見方。

不安や惨めさやあらゆる嫌な感情を感じないで済むから

ある意味便利だったけど喜びも嬉しさもなかった。

鬱病の人が世界が灰色に見えて食事の味もしなかったと言う時があるけど。

ワークブックでは最初とレッスン128にこの世界の全てに意味や

価値はないみたいなレッスンがあるけど、

その後、レッスン129で

「この世界を超えたところにわたしが望む世界がある」

があった。

テキストには「All the things work together for good(全ては相伴って益となる)」

とあったけど

昔の人が月に神秘を見たように

やっぱりなんか全てに意味があるという見方で生きるほうが生きた心地がする。

そういえばデイビッドは肩書きが神秘家だった。