呼んでいる胸のどこか奥で

2016年から奇跡講座を学んでいます。

『かぐや姫のものがたり』/高畑勲監督

かぐや姫の物語 | ギブアップの会
ジブリかぐや姫、最初見たときは、
「絵は美しいし、完成度やクオリティはすごいけど、
マトリックスとかに比べたら昔話で地味だな」
と感じたけど、
ギブアップの会のTさんの記事を読んだら、
かぐや姫神の国である月の世界の故郷に帰りたいと強く切望しているけど、
翁や媼を悲しませたくなかったり、地球での生活や捨丸への未練から
月へ帰る決心がつかず、屋敷の裏庭で地球での故郷である
懐かしの里山を模した箱庭を作って、
満たされない空虚感や寂しさを紛らわしていた、
というのが胸にきた。
ワークブックに、「あなたは幼年期の家を思い浮かべるかもしれないが、
それは歪曲された記憶である」みたいな文があったけど、まさにそんな感じ。
本当は神のいる故郷を切望してるけど、この世界のよくできたニセモノ、
模造品で満足しようとして、でもやっぱり満足できなかった、という感じ。
あと媼はかぐや姫の気持ちを察しているけど、
出世とか世間の価値観しか見えない翁はかぐや姫の悲しみとか、
人間の価値観を越えたものが全く理解できなかったり。
のりこさんが「わたしたちがこの道を歩き始めると、
自我はそれをさせまいと疑念とかあらゆる防衛を起動させる」
みたいなことを言ってたけど、
そんな感じで翁や天皇や武士たちがなんとかかぐや姫を帰すまいと必死に戦ったり。
かぐや姫が地球での生活を全て手放して月に帰る決心をしたら、
翁が猛烈に怒ったり同情を誘って引きとめようとしたり。
かぐや姫が子どもの頃は捨丸たちといて幸せだったけど、
都にいったら人間のずるさとか醜さとか欲望の世界を目の当たりにして、
絶望したり怒りに囚われたり。
豪邸とか美しい容貌とか着物とか芸術品とか貴族からの求婚があっても、
全部ニセモノで本物の愛や幸せはひとつもなかったり、
求婚の要求に応えようとして死んだ貴族に対して強い罪悪感を感じたり、
一番最後のシーンで、最愛の存在だった捨丸と結ばれて家族を持ちたかった、
という未練を感じきるときも、これほど愛おしく感じられるものでさえ、
神のいる故郷の代わりにはならない、という感じ、
大好きだった家族や美しい桜の花とか自然も最後は手放すことになる郷愁から
最後に地球を振り向いて涙が流れるシーンとか、
「地球で人間として生きて幸せになろうとしたけど、
結局見つけたのは絶望感とか空虚感とか罪悪感とか、孤独感とかで、
どう足掻いても本当の幸せは見つからなかった、
この世界で幸せをもたらすものになんとかしがみつこうとしたけど、
最後にはこの世界の記憶を全て忘れて、月の世界に帰ってしまう」
という切ない感じが胸にきた。

カースティンやフランセスが神秘体験をしたとき、
目の前のサンドイッチがなんなのか理解できなくなったり、
言葉を理解したり文字を読んだりもできなくなったらしけど、
まさにそれはかぐや姫が最後、天女に羽衣を着せられた瞬間、
地球の記憶や未練や執着を一瞬で全て忘れたのと同じ瞬間だと思った。
デイビッドたちがこの作品を見たらどう解説するか聞いてみたいと思ってしまう。

高畑監督が「かぐや姫罪と罰とはなんだったのか、きっちり説明したいけど、
結局はっきりわからないし、説明できなかった」と言っていて、
まさにデイビッドやのりこさんが言ってたみたいに、
ピノキオみたいにリアルな人間になって神なしで幸せになれると信じたことだった
のかな。
まだはっきり実感できてないけど。
あとかぐや姫が世界に絶望しきって神のいる月に帰りたいと心から願った瞬間から、

かぐや姫が月に帰る準備とかプロセスがかぐや姫が嫌がっても

着実に進められ始めたのも、聖霊の計画という感じだった。

かぐや姫は家族や自然への郷愁を強く感じていたけど、

いつかデイビッドも「エゴは切なさや郷愁感を使うでしょう」と言っていた。