呼んでいる胸のどこか奥で

2016年から奇跡講座を学んでいます。デイビッドはDavid Hoffmeister氏で、ワプニック博士はKenneth Wapnick博士てす。MWGEはコース学習者のための映画紹介サイトhttps://mwge.org/ です。

エクスプレッションの目的

のりこさんも話していたけど、

エクスプレスするだけの段階もあるけど

いずれ深く見ていくためのステップという話。

 

https://youtu.be/fKBB8V-gaIY

ラバーンさん自身がATMでカードが出て来なくなった時の

平安のツールを解説されていた。

この場合すぐにカードを取り出してもらうのが願望Eになるけど、

ラバーンさんが平安を選ぶために

自分が深刻に信じる欲求・願望Eを持ち続けるかの決断について

自分の主張を証明する証拠が知覚として厳然と存在しているように思えても

それでも心に深く潜っていくという話をした時、

のりこさんが6/18の勉強会で

「地球の地表から下のマグマのさらに底から決断を変えるために、

自分の主張がいくら正しく思える状況でも、

自分が被害者だと言い張りたい願望に触れるまで深く見ていく。

エクスプレッションは最終目的じゃなくて、

深く見ていくための最初のステップです。

 ただ感情をエクスプレスする時期もあるけどね。」と言っていたのを思い出して、

「こんなにも深いところから諦めなきゃだめなの」

みたいな気分になった。

「幻想を諦めるのは犠牲ではないから、犠牲は存在しません」

とフランセスが話していたけど、

腹では納得できない。

平安のツールをデイビッドの本『覚醒のレッスン』

で初めて見たとき、最後の方の文に

「願望Eを手放して平安を選びますか、それとも願望Eを持ち続けますか?」

という感じの言葉があり、

願望Eを手放すように促されるのは犠牲というか、

欲しくて魅力的に感じられるものや

どうしても必要だと感じるもの

をわざわざ諦めるように上から目線で頭ごなしに言われているようで

「ちょっと待って」という抵抗感を感じた。

願望実現系とは真逆の、

自分の要求が間違っていたのを認めるというのは

今もすごく犠牲感というか、

屈辱というかしぶしぶ負ける感じがある。