呼んでいる胸のどこか奥で

2016年から奇跡講座を学んでいます。

絶叫的な泣き叫び・懇請

合宿でNさんが絶叫するような辛い感情をエクスプレスしていた時は、

正直びびって、こんなにも深い絶叫的な辛い苦しい感情が上がってくるものなのか、

合宿ってこんなにもガチでやばいのか、自分にはムリだという感じだった。

のりこさんがよく言う「愛と助けを求める絶叫的な懇請・泣き叫び」は、

どこかピンとこないというか、遠いところにあるような感じがしていたけど、

本当に文字通りに出てくるものなのかと感じた。

普段は気づかないけど、

自分の助けを求める声をNさんが表現してくれたのか。

そう言えば、のりこさんに初めてメールしてセッションを申し込んだときも、

大学のときにギブアップの会のちーさんに申し込んだときも、

自分がギリギリまで葛藤とか恐怖や苦しみ・圧倒的な苦しみの行き詰まりに

どん詰まったから、

「もうこれは助けを求めるしかない」となったんだった。

圧倒的な孤独感や強烈な苦しみにどうしようもなく追いつめられたときだけは、

恥もなく助けを求める気になった。

「求めよ、さらば与えられん」

じゃないけど、2回ともちゃんと必要だった助けを与えてもらえた。

Nさんが絶叫的な辛さを表現してくれたから、

のりこさんとラファエルから、

「それで完璧なプロセスだし、それも通り過ぎるもので、

そこにずっとスタックすることはないよ。

リサに、ぼくはもう死にたいと感じていると伝えると、

リサは、『おめでとう、あなたはもうすぐ目覚めるわ』

と言っていたよ。」

という助けになる言葉が聞けたんだった。

 

出産の映像を見たり話しを聞くと、

妊婦さんがあまりにも壮絶な苦しみを経験して、

文字通り絶叫したり、

のりこさんは声も全然出せないほど辛かったと言っていたけど、

人間レベルではそれが目立った助けを求める絶叫・泣き叫びかと思った。

そういうシーンを見ると、

そのあまりの壮絶さ、迫力に圧倒される感じで、びびる感じになる。

聖霊からしたら、

肉体レベルでは苦痛がリアルなのが前提の偽りの共感かもしれないけど。

心のレベルでその絶叫があるのを意識するのは大事なのか。

Noteの記事でのりこさんが、

「自己概念を維持するのは苦痛でしかない」と書いていたけど。

ビルやジュディも、自己概念というか社会的には立派な立場があったけど、

日常生活の中であまりに精神的に苦しくなり、

助けを求めて与えられたんだった。

ジュディは充実した家族や仕事に恵まれてたけど、

圧倒的な虚無感があまりに辛くて苦しくて、

トイレに駆け込んで文字通り声を出して絶叫して助けを求めて、

しばらく後にコースに出会ったと言ってた。

そう言えば3年前くらい前のデイビッドの動画で、

デイビッドがリビングミラクルズのスタジオの

カメラの前でノリノリで話している最中に、

突然、別の部屋から女性のアーッという絶叫・叫び声が聞こえてきて、

デイビッドが満面の笑顔でそっちを指差しながら、

「ほら、まさにこれだよ!」という感じだった。

後から、エクスプレッションの一環で

誰かがアーッとかキャーッと絶叫することもあると、

アンディの話で知ったけど、

3年前は、「女性の絶叫が聞こえてくるのが動画に入ってたら、

ヤバい怪しいコミュニティだと思われるんじゃないか?」と思った。

それで完璧なのか。