偽りの共感と罪悪感 かわいそうな人づくり
最終日、最後にエクスプレスさせてもらったとき、
のりこさんと長めの受け答えしている間に
ラファエルに向けて英語で話せなかったとき、
ラファエルがはぁー・・という感じでがっくり頭を落とした、
としか思えなかった瞬間があった。
「また日本語ばかりの会話か。ぼくにはわかんないよ」
という感じでいるように見えて、罪悪感というか申し訳なさを感じ、
「慣れない形の受け答えで余裕がなくて、、」
と罪悪感から自分を正当化する言い訳探しをはじめていた。
しばらく申し訳なさ・罪悪感を感じていると、
先日翻訳して記事にしたジェニーさんの息子さんとのエピソードと、
「あなたは自分の言動が原因で誰かがガッカリしたり怒ったりしたと
考えるかもしれませんが、その考えは間違っています。
誰かとその考えについて同意があっても、それでさえも間違っています。」
という言葉を思い出して、
この自分の責任で誰かが不幸になったという信念・考えと感情は、
捏造かもしれないと思いはじめた。
ラファエルが実際にどういう気持ちだったかはわからないけど、
「日本語がわからなくてかわいそうなラファエル」というイメージを
勝手に思い込みで作り出していたのかもしれない。
平安のツールのDの、勝手に作り出した自分と他者のイメージを維持する、
みたいなやつ。
偽りの共感。
のりこさんたちの「悲劇のヒロインが大好きだったわたし」という動画で、
まさにそういう力動についてのりこさんが話していた。
平安のツールに「投影は非常にリアルに見えます」とあったけど、
思いこんでるときは本当にリアルで、それしか現実じゃないように思える。