ジュディのはなし 笑うジーザス 部分翻訳
ジュディさんが亡くなる少し前の映像だと思われます。
愛と笑い がテーマで、会話が進んでいました。
33分20秒あたりから。
ジュディ:グノーシス主義の、よく知られた古い寓話を思い出しました。
そこには、「笑うジーザス」と呼ばれる、イメージがあります。
そして私がとくにいつも惹きつけられている部分は、
ジーザスが肩をゆったりと路傍の木に寄せて、もたれかかり、
彼自身の十字架刑を見ながらひたすらに笑い続けているのです。
十字架刑の真っ最中に、笑っている。
このことから、私たちが学べることは何でしょう?
この寓話が伝えたかったことは何でしょうか?
私は、これが伝えたかったことは、コースが伝えていることと、
まさに同じだと思っています。
私たちの肉体はリアルではなく、
私たちの苦しみも、痛みも、リアルではありません。
もちろん、私たちが自我の目、自我の心で見る限りは、
実際にそれらは、リアルに感じられます。
しかし、真実には、これらはリアルではありません。
だからこそ、私たちとジーザスは、痛みや苦しみを、
可笑しいと思うからではなく、
それがリアルではないと知っているからこそ、
笑いながら見ることができます。
私たちは、オーマイゴッド、このリアルでさえない全ての夢についての、
この無用な空騒ぎは一体何なんですか?と言うかもしれません。
とても気分がノッてきました。
私たちは、このことを、いくつもの様々な形で、実証してきました。
わたしがケン・ワプニックのそばにいた人たちから聞いた話ですが、
彼が亡くなる一週間か二週間ほど前、膵臓癌と診断され、
彼の調子が良いときは事務所を出たり入ったりしていましたが、
ほとんどいつも、彼の様子は、あまり具合が良くないように見えていました。
何人かのスタッフは、彼がそのような様子であることに大きく動揺し、
泣いていました。
ケンが、「なぜ泣いているの?」と言うと、
スタッフは、「あなたが死にかけているからです。」と言い、
彼は、「わたしはまったく、死にかけてなんかないよ。
わたしは実際、この場所にいるわけでさえないんだから!」
と、笑いながら言いました。笑いながら、です。
これが、グノーシスの寓話から、私が思い出したことです。
私たちが良く知っている友人は、彼の人生の最後に、笑っていました。
夢の狂気に、笑っていました。
私たちは夢がリアルではないのに、それが現実だと思っていますが、
それは真逆なのです。
36分まで。