呼んでいる胸のどこか奥で

2016年から奇跡講座を学んでいます。デイビッドはDavid Hoffmeister氏で、ワプニック博士はKenneth Wapnick博士てす。MWGEはコース学習者のための映画紹介サイトhttps://mwge.org/ です。

スザンネ・サリバンさんのはなし

2年くらい前、毎日リビングミラクルズ(LM)の動画ばかり見ていたら、

LMのスザンネ・サリバンさんが何年も前の瞑想リトリートの紹介動画で

「毎日YouTubeの動画ばかり見ているのは依存性みたいな状態だから、

落ち着いて静寂にする時間をとって、ディストラクション(外側に気を逸らすもの)

から離れる時間をとるのは大事です。」

というようなことを言っていて、自分でも少し思い当たる節があったから、

「やっぱりこれは少しまずいか。瞑想とかしなきゃだめなのかな」

という感じに不安感、ダメな状態だと言われたような危機感を感じていたら、

別の2年くらい前の動画で「コロナ禍で毎日家にいてネットで動画ばかり見ていて、

自分でも何か不健康というか、どっぷり浸かり過ぎているかもと感じています。」

という感じにデイビッドに質問した女性がいて、

デイビッドか何と答えるかと思ったら、

「それは全く問題じゃないよ。PCのスクリーンを見ようが見まいが、

どっちにしても知覚という画面のスクリーンをずっと見ているわけだから、

何の違いもないよ。全くOKだよ。🙆‍♂️」

と言っていて、意外な答えに、

「何だいいのかよ!スザンネさんとは違うやんか!」と思ったけど、

スザンネさんの言葉が当てはまる場合もあるだろうし、

どっちが必ず正しい答えというわけでもないのか。

でも、デイビッドの答えは画面を見るのがダメで瞑想が正しい、

と決めつけないで、それも全くOKだよ。という感じで、安心を感じた。

また別の動画https://youtu.be/2x1JeqkkyOcの53分ほどで、

コミュニティの人たちがプロジェクトに関して思い込みや執着があるのを

デイビッドが感じ取って、メキシコでそれに言及した時のことを、

スザンネさんが話していたのがすごく印象的だったから、翻訳したくなった。

表現がややこしいところは微妙に省略したり意訳しています。

「この半年ほどで、わたしは静寂にするのがとにかく正しいと、

心のどこかで無意識に思いこんでいたのに気がつきました。

モナステリーを修道院みたいに静謐な場所にしたいと思っていました。

デイビッドが全体ミーティングで、

『わたしたちはフェスティバルとサイレントリトリートを比較しているよ。

どちらか片方を魅力的だと感じて惹きつけられる感じがあるよね。』

と言ったとき、まさにわたしの中にそういう感じがあるのに気づきました。

わたしの場合はフェスティバルよりサイレントリトリートのほうが、

より魅力的だと、

静寂の方がわたしたちをよりはやく家に帰してくれると思っていました。

それで、わたしは自分のコントロールからモナステリーを

完全に手放すことになりました。

それはとてつもなく大きな解放感でした。

でも、わたしはその思い込みがあることに全然気づいてませんでした。

わたしたちは、自分で気づいてないことには全然気づけないんです。

わたしは、目覚めたいという祈りを反映するこれらのシンボルがなければ、

自分だけではこのことに全然気づけなかったと思います。

その後わたしはオーマイゴッドという感じて、キャビンに行って座り込むと、

わたしの意志ではなく、御心がなされますように。

という感じに深いところで受け入れられた完全な変化が起こったのです。

本当に、「御心がなされますように。」という感じです。

わたしたちは、ジーザスが敷いてくれた道に自分で干渉しなくていいんです。

それは、その瞬間に与えられた何かを深く受け入れる感じで、

それがあなたの目覚めにとって、いちばんパワフルなんです。

それはトイレの掃除とか、静寂に座るとか、

何百人の人に教えることとか、何でもあり得るのです。

わたしたちのために、道があらかじめ敷かれている感じです。

脚本はもう書かれているんです。何てシンプルでしょう!

でも、もしたった一つでも、

あなたが知っていると思いこんでいる個人的なアイディアがあるなら、

今この瞬間の幸せの深みを曖昧にしてしまうんです。」

スザンネさんが感涙しそうになりながら話しているのを見て、

本当に何十年も無意識に執着していたものから解放された、

という感じが伝わってきた。