ケイティのワークと木
わたしは、木が庭に植えられたことに不満を感じている。
なぜなら、隣人は、伸びた木の枝や落ちる葉で不快になるだろうから。
迷惑だろうから。
木を伐採するか、そもそも植えるべきではなかった。
それは本当ですか?
たぶん。
それが真実だと、絶対に言いきれますか?
絶対とは言えない。
その考えがあるとき、あなたはどのように反応しますか?
腹がたつ。
その考えがなければ、あなたはどう感じますか?
平気だろう。
置き換え
木が伸びても、隣人が不幸で不快とは限らない。
それは推測でしかなかった。
伸び過ぎていたのは、わたしの攻撃的な思考の枝のほうだった。
わたしは、自分の攻撃的な思考をこそ伐採すべきだ。
伸びた木の枝を切りに来た業者さんが子どもの頃から知っていた人で、
20年ぶりに再会したことに気づき、話し合った。
木を植えたのは、必ずしも、悪いことではなかった。