呼んでいる胸のどこか奥で

2016年から奇跡講座を学んでいます。デイビッドはDavid Hoffmeister氏で、ワプニック博士はKenneth Wapnick博士てす。MWGEはコース学習者のための映画紹介サイトhttps://mwge.org/ です。

正直に言いたくない気持ち

自分がムッとしたり何かについて

赦せないと感じても

それを打ち明けようと思うと何か怖くて、

言ったら負けみたいな屈辱感もあったか、

ノドにつかえるような感じと腹にググッ...と抵抗感だった。

家族で出かける時、

父はコンビニとかに寄ると平気でコーヒー缶とかゴミを捨てていた。

それを見る度、

「あっこいつまたやりやがった!」

と内心呆れて怒っていた。

「家庭ゴミは持ち込まないで」って書いてあるのに。

 

それを抵抗感を感じながらある人に打ち明けると、

「何でダメなの?」

→自分:お店の人に迷惑がかかるから。

ゴミ出しの作業が増えて疲れるだろう。

仕事が増えるから。

→つまり、誰かを犠牲にできる、苦しみや犠牲者がリアルだって

信じているってことだね。

と言われて、ハァー...そうかとなった。

レッスン24の攻撃の想念。

 

何で、自分の動揺とか怒りとか恨みとか惨めさとか

「打ち明けたくない」と感じるんだろう?

と思った。

相手に厳しく言われて自分が痛い思いをするんじゃないかとか

何か自分の弱みというかダメなとこを晒す屈辱感(プライド?)

とかあるけど

正直に打ち明けたら、

心まで辿って自我的な信念を手放さざるを得なくなるから

それが何か嫌で屈辱的だった。

確かに負けるというか、、

「自分が間違っていた」ことを証明されて

わからされる、

その瞬間の屈辱感・敗北感はあった。

同時に、安心感というか救われた感じ、

あーよかった、ありがてぇ〜

もあった。

「打ち明けたくない」って、

手放したくない、

それが間違いというか妄想だったって

証明されたくない、

みたいな気持ちなのか。

まるでトイレを我慢するみたいに。