呼んでいる胸のどこか奥で

2016年から奇跡講座を学んでいます。デイビッドはDavid Hoffmeister氏で、ワプニック博士はKenneth Wapnick博士てす。MWGEはコース学習者のための映画紹介サイトhttps://mwge.org/ です。

脅威と防衛

数ヶ月前に

普段は優しく寛容な態度、

いい人の人格でいて、

自分が脅威や不都合を感じて不快感や防御の必要を強く感じると

自動的というか本能的に攻撃的な態度を露わにして

相手を怖がらせて自分を守ろうとする

みたいな態度の豹変をある人に見て、

愕然というかその人に対してのイメージが激変して、

最初はまずえっ!?と驚いて、

その後怒りというか屈辱感や憎悪を感じた。

自分にもシェア会に参加する時間が守れなかったのがしばらく続いた

という非はあって、

それで罪悪感があったから裁かれる恐怖を感じて動揺した。

自分は「その人に脅迫された・動揺させられて屈辱感と怒りを感じる」

という感じだった。

その人が別の人に打ち明けた話を聞くと、

グループの秩序を守る必要・脅威感を強く感じて

時間を守れなければ出て行ってもらうと

ルールを守れてなかった自分をコントロールしなきゃと感じたようだった。

自分の動揺はグループから追い出される恐怖・孤独になる恐怖だった。

このことを考えていて、

相手にも一応伝えた後、

自分も中学の頃からの後輩に一度同じことをしていたのを思い出した。

その後輩が大学時の部屋に泊まりに来て、

ふざけて嘲るような態度をとった時、

普段ならおふざけとしてやり過ごしていたけど

大学を辞めざるを得なくなっていた自分は

「圧倒的な自分の情けなさ、弱さ、劣等感、

レールから脱落する失敗者感」

に飲み込まれていて、

まるでその後輩から自分の情けなさを

容赦なく嘲って見下されて

社会そのものから自分が見下されているような感覚になって

強烈な恐怖とパニックに飲み込まれて、

その後輩を怒ってコントロールしなきゃと感じた。

全てが自動的というか、

恐怖から衝動的に心の防衛システムが起動したという感じ。

「脅して相手を怖がらせてコントロール・防御しなきゃ」

と必死だった。

パニック。

ワークブックのどこかに「脅威の感覚が怒りを喚起する」

とあったけどまさにそうだった。

落ち着いた後で、

自分がまさに恐怖・パニックから

狂って相手を脅して防御しようとしていたのにハッと気づいたけど、

動揺の最中は悪夢の中というか

相手が邪悪な敵で自分は弱い被害者、

あまりに強烈な劣等感・脱落者感・見下される恐怖という

恐怖の世界観にすっぽりとハマっていた。

心の痛々しい部分を

自分を嘲るような態度や言葉のナイフで

グサグサとえぐられているような感じで、

「自分の心が相手に強烈に傷つけられて心の痛々しさや惨めさに苦しむくらいなら、

相手を脅してでも自分を救って助けなきゃ」

というパニック狂乱状態だった。

実際に誰かがナイフとか銃で襲ってくるドッキリを

仕掛けてきたら、

心理的じゃなくて肉体レベルの脅威だけど

同じ「動揺・パニック・狂乱して必死に逃げるか反撃して必死に防御」

になると思うけどそんな感じ。

いわゆる「地雷を踏む」というやつ。

後輩は自分が大学を辞めることも知らなかったし、

そこまでいやらしいというか脅威になるようなことは

そもそも言ってなくて、

小さなことをイジるみたいな態度で

ふざけて嘲るみたいな感じだったけど、

強烈な劣等感や恐怖を感じながら生活していた当時の自分には

相手が深刻な脅威に見えた。

まさに知覚が歪んでいたという感じだった。