信仰と疑い
コースを始めた頃は一番しんどかった。
毎日が疑いと騙されているのじゃないか?
間違った道を進んでいるのでは
みたいな腹の底の不安と恐怖だった。
疑念に苛まれる時は頭が痛くて地獄のようだった。
マザーテレサの本を読んだ時と、
便が漏れそうでトイレまで必死で我慢する時以外、
もともと信仰のかけらもないような性格だった。
信仰という言葉もなんか洗脳されるみたいで嫌いだった。
ノンデュアリティの界隈とか、
クリシュナムルティでさえ
信仰とかFaithは「時代遅れの迷信」みたいな感じだけど
生きるって信仰以外にもはやない。
みたいな感じで。
それ以外に生きる方法が単にない。
戦国時代とか昔の日本人のキリシタンたちも同じような
気持ちだったのか。
疑いはまだあるけど。