カースティンさんがFacebookでFoundation for Awakening への募金を募っていた。
自分はPaypal のアカウントやカードが作れないのもあり、
募金できない。
それで罪悪感の痛みを感じた。
平安のツール
https://levelsofmind.jp/wp-content/uploads/2019/03/instrument-for-peace_jp.pdf
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A募金できないことに、B強い罪悪感、
カースティンさんを裏切っているような感覚。
頭では、カースティンさんが自分を責めてはいないはずとは分かっているけど、
募金の額や人数が少ないからこれじゃカースティンさんは落胆するだろう、
献身が報いられなかったと感じるだろうみたいな思考。
C自分含めて募金してない人、が責められるべきで、
未来または過去に
カースティンさんが欠如や怒りや軽蔑や咎めを感じているだろうという思考、
D自分が裁きに値する有罪だという信念。
E願望は、自分や他人が募金できればいいと感じている。
わたしはD募金が足らないという欠如を信じているので、
E募金をできれば、平安で幸せになれると信じています。
投影で見るものは、非常にリアルに見えます。
なぜなら、内側にある信念や決断を直視しないための企てだからです。
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自分や他人が有罪で裁かれるべきだという信念を証明して
怒りや罪悪感の感情や思考を温存して正当化するために、
知覚や出来事を利用しているのか。
イエスを決して裏切らないと言ったペテロたちが
処刑されるリスクへの恐怖からローマ兵の前で
イエスを知らない振りしたような罪悪感。
カースティンさんに恩を感じているくせに裏切るのか、
わずかな寄付もできないの?という目で、
カースティンさんに見られているような痛々しさを感じる。