呼んでいる胸のどこか奥で

2016年から奇跡講座を学んでいます。デイビッドはDavid Hoffmeister氏で、ワプニック博士はKenneth Wapnick博士てす。MWGEはコース学習者のための映画紹介サイトhttps://mwge.org/ です。

ブログの意味

のりこさんと、初対面でZoomやってもらったとき、「ブログやってみませんか?」と言われ、驚き、ある程度、経験がある人がやるんじゃないんですか?勉強会に参加したこともない初対面の未熟な学習者の自分を誘うんですか?正気ですか?という感じだったにもかかわらず、家族に、「文章読んだり書いたりするの好きなら、ブログとかやったら?暇なんだし」と言われてたのを思い出し、自信ないどころか、内心ビクビクしながら、それでも前に進めるかもというある種の意欲を感じつつ、けんたさんとじゅんこさんを真似てはてなブログではじめ、いちばん最初の不幸詰め合わせパックみたいな記事が想像のだいたい100倍くらいのPVになり、心底びびってしまい、加えて自分が自我の承認欲求や、特別性を認めて欲しい欲求にブログを誤用しないかが怖くて、記事を書けなくなり、ブログのアプリに触るのも怖くなってしまった。

それで数ヶ月経ち、ツイッターでDylan Aurelian loveと知り合い、少し話し、同性の同世代(年齢思考だけど)で境遇が少し似てて劣等感ありつつも親近感があったディランの動画や無防備なシェアを聞くうち、「これはあくまでディランと自分の関係がきっかけだったし、ディランとの関係について感じたことなら、自分の手柄や承認欲求にならないのでは」と思い、ディランの動画がきっかけで、ブログを書く意味を見いだせた。それから、他の人のブログを見て、ブログを書くのは、他人のためというより自分のためなこと、

かといって自分だけで読むだけだとダレてしまい、やる気がなくなること、文字で書くと客観的になれて、かなりスッキリするのがわかった。

もともと、他人のブログを読むのは好きでも、自分で書くのは考えられなかった。のりこさんたちのブログを読んで、上手に、他人を喜ばせるためにいいことを書くんじゃなくて、自分が自分を知るためにただ正直に書くんだとわかって、呼吸がつかめた感じだった。ブログを自分の行為者の行為の成果、みたいに見てる部分も正直あるけど、壊れかけた小さな古いスマホで、書けるところまでは書きたい。