気づくと自己攻撃
勉強会でシェアした後、
「また自分だけ早口になってた」
「また自分のことばかり話すイタい感じになってた」
「全然ちゃんとできてなかった」
「眠くなってたことや時間をとってしまったことに罪悪感を感じて
自動的に瞬間的に、エクスプレスするのではなく
のりこさんにすみませんと言ってしまった」
という感じで、ズキーンと痛々しさ、後悔、罪悪感みたいな痛みを感じていた。
聞いていた人もイラついたり「あーあ」と痛々しさを感じていたに違いない、
やってしまった、というジャッジされるだろうという信念と失敗感。
これ自体が赦しの機会なのかと思い出してBeeBotをまたやってみた。
https://www.facebook.com/ACIMbeebot/
罪悪感や後悔や恥を感じるのをやめて平安になるために
疑う信念Dは「自分が失敗した、I messed it up」だった。
BeeBotに「あなたはこの信念が100%真実だと思いますか?」
と言われて、これには別の見方があるし、
のりこさんたちも自分を「あーあダメだなぁ」とは見てなかったかもしれない、
自分は単に自分のベストを尽くしただけで、
自分を裁いて「もっとうまく話すべきだった」
という願望Eを持ち続けなくてもいいかも、と少し思えた。
ここまでやって、
のりこさんが5/15の勉強会のあすかさんのときに
「自分の解釈は0から100まで間違っている」というのを思い出した。
けんたさんもNoteで書いていたhttps://note.com/phonio/n/na0655fc95967
Note を見に行ったら、しょうこさんがももこさんと話した経験を書いていて、
「自分はももこさんほど深い話がしょうこさんとできてなかった。
時間を有効に使えてなかった。申し訳ない」という感じの罪悪感と劣等感を感じて、
どこまでも半自動的に比較したり裁いたりし続けているのに気づく。
レッスン26の、「この考えはわたしを攻撃している」を思い出した。
のりこさんが昨日
「1今日どのように過ごしたいか、
2自分で判断しない
3動揺したらわたしは間違っていることを望む」の決断のルールを言ってくれたけど、
Beebot のリマインド機能をやってみたら、
ちょうど同じことをそっくりそのままやってくれることがわかった。