呼んでいる胸のどこか奥で

2016年から奇跡講座を学んでいます。デイビッドはDavid Hoffmeister氏で、ワプニック博士はKenneth Wapnick博士てす。MWGEはコース学習者のための映画紹介サイトhttps://mwge.org/ です。

『ジョーカー』

先日テレビで

池袋でかなり前にあった連続殺人事件の犯人のドキュメンタリー的なことをやっていた。

23歳の青年。

どこまで番組の内容が真実かもわからないけど

正直あまりに痛々しくて、最後まで見られなかった。

最初から見てないから彼に家族がいたのかもわからないけど、

生活費を稼ぐために道路工事の仕事をしているうちに

犠牲者感覚や社会への怒りが溜まっていって、

街で笑いながら遊び歩いてる人を見るうちにその

「軽薄さ、誠実さのなさ」に強烈な憎悪と殺意を感じて犯行に及ぶ決意が固まった、

という感じの流れだった。

ここまでの流れが映画『ジョーカー』とかなり似ているように感じた。

細かい点は違うけど、本質が同じというか。

自分だけ恵まれてなくて孤独で希望もなくて、

惨めな自分を嘲笑うかのように遊んで笑っている人たちに憎悪や殺意を

募らせるというのが、

まさにジョーカーという感じだったけど、

自分を見ているようでもあり痛々しかった。

今思い出したけど

学習者のマイティさんという方がブログで、

「自分を不幸にしておきながら、

メシウマという感じで自分を嘲笑うかのように自分だけ幸せになっている人

が赦せない気持ち」について書いていたのを思い出した。

まさにそういう感じだった。

 

都会で人はたくさんいるのに、孤独というか、

暖かいつながりみたいなのがない。

キリスト教会の関係者に援助してもらっていたという感じの描写はあったけど。

実際に人を攻撃したから特別に悪い犯罪者であるように感じられるけど、

誰でもこうなるというか、

彼は少し運が悪かったからこうなったけど、

誰でも程度が違っても同じような精神状態にはなるじゃないか、

と思った。

父はこの番組を見ながら、

「信じられない。ありえない。なんでこんな残虐なことができるんや。

ありえん。なんやこいつは。」

という感じで、

必死に「俺はこいつとは違う。こいつは理解不能なモンスターだ」

というふうに、

まさに投影の力動の

「自分の中の不快なものを外側に押し出してなすりつけて他人事にして、

自分の罪悪感を忘れる」

というのをあからさまにやっていた。

父自身があの青年のように、

周りの人間を凶暴に攻撃してきたことをすっかり忘れて無かったことにして、

「俺はまともな社会人、有能な小学校教師だから、アイツは理解できない」

という態度だった。

なんとしても、罪深いアイツを自分の内側、自分と同類には含めたくはない、

という必死に除外する感じというか。

まさにテキスト31章の『無垢な仮面』だった。

父を眺めると、父の性格が極端でわかりやすいタイプなのもあってよく見えるけど、

自分も同じことを無意識にやってるのかと書いていて思った。