呼んでいる胸のどこか奥で

2016年から奇跡講座を学んでいます。デイビッドはDavid Hoffmeister氏で、ワプニック博士はKenneth Wapnick博士てす。MWGEはコース学習者のための映画紹介サイトhttps://mwge.org/ です。

本とプレッシャー

ワプニック博士や、ACIM関連の本を買うとき、本を買いたい気持ちがあるにもかかわらず、プレッシャーを感じる。「あの本を買わなきゃ、自分は救われない。本を読んで理解しなきゃ、救われないから、なんとしても本を手に入れなきゃ」という感じになっていることに気づく。「This moment is your Miracle」も、これさえあれば、と無意識にしがみつくのを感じ、2年待って、プレッシャーが減ってやっと買えた。なんであれ、「これさえあれば救われる」と考えること自体が、特別な関係だと博士は書いていた。キリスト教の贖宥状、免罪符みたいな感じで、あの本さえあれば救われる、奇跡講座をなんとか理解すれば救われる、と思っている。深刻な感じ。だから、本に束縛される感覚を感じ、本から離れたくもなる。

他人や、自分の肉体でさえ、強烈に執着しているから、それから逃げたいと思っているのか。自分を守ってくれる家や服や、他人や家族は、安心や快楽をもたらす一方、自分を閉じ込めて束縛するものにもなる。かといって、本を手放すわけにはいかないし、何もしないでいたら救われるわけでもないし、、という絶望感。脅迫的に必死に本を読むからか、目は疲れ、頭も痛くなる。幼稚園の頃から、他人を避けて、本を読んで、知識を集めて、自分を鍛えれば道は開ける、認めてもらえる、意味を見出せると信じてきた。霊的な本から得るものは確かに多いけど、いつまでこれをやればいいのか?勉強会に参加するのも、「これをやれば救われるなら、やりますけど、、やらなきゃ救われないんですか?」という、条件つきの期待をしているのに気づく。未来の救済を期待してる。なんだろう。深刻な人生。本を買うのも、何をするのも、常に緊張して、「これを自分がやれば救われるならいいけど、やらなきゃ、救われないのか、、」みたいな、まるで細い崖際の道を歩いていて、道を踏みはずさなければ、無事だけど、一歩踏み間違えたらもうダメ、みたいな感じ。学校に行くのも、幼稚園に行くのも、、「これをやれば無事に過ごせるが、やらなきゃ、やばいことになる、他人はがっかりして自分を愛さなくなるから、仕方なくやる」

という感じだった。やりたいからやるというより、他人から見下されるのが怖いから、怒られるのが怖いから、孤立が怖いから、やっていた。

本を読まなければ、無意識の自我を意識して取り消すこともできない、それは苦しい、だから本を買って読むんだ、というのに、疲れてしまったのか、または、本に書いてあることが真実で、自我にとって脅威になるから、新しい本を避けたいと思っているのか。