6月の勉強会でのりこさんが「次のステップは何だと感じる?」
と言った時、自分は「歯を磨くことですね」と答えた。
自分でも保育園みたいだなと思って笑ったけれど、
これはジョークじゃなくて、自分には本当にできてないことだった。
ラファエルがオデッセイの解説で、
「マークは火星で絶望して憂鬱に死を待つこともできた。
でも死を受け入れなかった。
これが真実であるはずかないと、
火星という地獄から脱出するのを諦めないで、
ガイダンスに従った」と言っていた。
歯を磨くというのは、マークが毎日畑に水をやったりしていたのと同じで。
希望を信じて小さなことをコツコツやる、という感じ。
これが自分にはあまりできないことだった。
努力して、自分の限界が見えてしまうのが怖かったのもあったけど、
希望を信じて、一歩を踏み出すというのも、できないタイプだった。
自転車も、妹のほうがはやく乗れるようになってた。
マークと違って地球に生きていても、
自分はどうせいいことないとすぐ絶望して、
絶望していたら歯を磨く気も起こらない。
何か、「ショーシャンクの空に」でもそうだったけど、
自我は絶望と死を信じて欲しいと思っているけど、
そうじゃないんだよ、
地獄や苦しみからの脱出という希望を諦めることはないんだよ
というメッセージに感じた。
コースには理論的な形而上学や
美しく精妙な文章がたくさんあるけど、
「私が世に勝ったのだから、あなたは艱難辛苦を受ける必要はない。
だからあなたは、元気を出すべきなのである」とか、
マニュアルで何よりもまず信頼が重要であるとか、
希望を捨てないことや信じることを説く体育会系というか、
ガッツだぜ!元気だせよ!希望を捨てるなよ!と励ます感じもときどきある。
最近見た映画では、それを感じた。
自分が間違っていることを望むとか、
自分の解釈が100%間違っているとか、
絶望感と無意味感しかない世界観を疑う意味もあるはず。
ラファエルは原因不明の症状で視力も聴力もほぼ無くなったところから
一歩ずつ歩いたわけで、
その時は希望や信頼を敢えて選ぶ意欲が必要だったと思う。
パラリンピックの目の見えないランナーがガイダンスを信じて、
一歩ずつ進むように。