呼んでいる胸のどこか奥で

2016年から奇跡講座を学んでいます。デイビッドはDavid Hoffmeister氏で、ワプニック博士はKenneth Wapnick博士てす。MWGEはコース学習者のための映画紹介サイトhttps://mwge.org/ です。

引き留める声

誰かが心のままに正々堂々と生きると、

誰かがトリガーを引かれて怒ったり傷ついたりして、

自分のせいだとか自分が間違えてるからと

罪悪感に沈んだり。

 

デイヴィッドたちがビザをとりやすくなる都合で

リビングミラクルズを法律上の手続きで教会にした時も

「教会なんてとんでもない。宗教組織にするのはありえない」

という声が内外からたくさん上がったらしい。

自分が大学を辞めたのも、

リサやジェニーが子どもから離れる時も、

「そんなのとんでもない。許されるわけがない」

という声を身内から聞いたらしい。

フランセスは夢で当時離婚やアメリカ行きに反対していた旦那さんが

この道に行くのを応援してくれたり

ジェニーさんはアメリカ行きに反対していた両親の

聖霊バージョンの天使が部屋に来て応援してくれたらしい。

だから引き留める声を深刻に受け止めなくていいのか。

 

信念を握り締める超絶握力

無価値感って言葉、最初にUnworthinessっていう言葉で

デイビッドが話したのを6年前くらいに聞いた時は

ピンとこなかった。

わかるような分からんようなで。

心屋さんも同じようなことを話していたけど。

『天国から離れて』でもビルが

「自分だけは普遍的な愛から除外される」信念を持ってて

エスはそれを誤謬と言ってたけど

万力のような力で自分は裁かれるとか見放されるっていうのを

ガッチリ握っているんだなと感じる最近。

教室

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ある人が朝、夢の中で見たと教えてくれた。

コースではこの世界や人生は教室だということになってるから

ちょうどいいと思った。

ワプニック博士が「時には誰かに間違いをさせてあげるのが

最善なこともあります。

だからイエスはヘレンが間違いをするのを止めませんでした」

と言っていた。

ハリポタのハーマイオニーみたいに

小学生の頃は自分はいちばん意見を発表する子で、

先生から「あなたは発表しすぎるからいったん発表はおやすみね」

と言われたぐらいだった。

自分もだけど、

確かに勇敢に発表するけど間違えたというかずれた答えを言う子もいた。

 

やっぱり人間関係とかお金とか絡むと、

失敗できない精神状態になる。

失敗には深刻な結果が伴うように感じる。

自分や相手が傷つくとか損失だとか、、

そうして防御的になる。

子どもの頃を思い出すか。

 

プライドを優先してた

プライドが破れて惨めさ・情けなさ・屈辱・恥を感じるのが嫌だったから

大学の時に相手から逃げた。

自分の心を守ろうとして。

今でも同じことやる。

でも、それが上がってきても気づいていけばいいか。

シパシパの実の失敗人間

本田圭佑が、「失敗したら痛い思いして傷つくけど、

失敗しまくってる人間の方が魅力的なんで。」と

何年も前の講演で話してたけど、

それは確かにそうだよなと感じた。

リビングミラクルズやコース関係の人たちに

魅力や親密感・暖かさを感じるのは、

やっぱり皆自分のカッコ悪いところとか失敗とか

本来なら恥ずかしい感情とか隠さないからで。

キレイな平坦な道・あまり失敗したりしない

安定した安全な人生の話よりは

のりこさんが言ったようにドッタンバッタンして

沈んで落ち込んだかと思えば幸せを感じたり

いろいろある人の話しのほうが面白い。

デイヴィッドたちもそうだけど、

のりこさんは初めて話した時に

「この道は成功を積み重ねてこうスーッと行くんじゃなくて、

ドッタンバッタンしながら歩くんですよ」

と言ってくれたけど、

それを聞いた時は安心したし、

あーっと胸が広がる感じがした。

最近、なんか自分がいろいろな感情、

恐怖も愛も恥も幸せも安心もいろいろ感じて、

なんか真っ当な人間らしい生き生きした人間

になってきた、みたいな感覚がある。

 

タイトルはゴムゴムの実のゴム人間のもじり。

 

思考と現実のギャップがヤバい

こうすけさんにちょっとしたことで疑問があって。

2人どバイロンケイティのワークをやることになったけど、

のりこさんが実際に

献身滞在で勧めたのかどうか。

のりこさんはバイロンケイティに言及したけども

勧めてはいなかったという人もいて、

どっちか分からず。

これを実際にこうすけさんに聞いたらこうすけさんは

自分が信頼されてないと感じるか、とか

なんかこうすけさんが不愉快になって自分を嫌うだろう、

みたいな思考を信じちゃってた。

これ言ったらマズいことになる、

みたいな、深刻なことになるから黙っとこう、

みたいな恐怖心の力動が働いてた。

これ以上この思考を隠してたら自分が苦しいだけで、

もう言わなきゃだな、と観念して、

腹括りしてメールで伝えた。

自分が相手を不愉快にして嫌われる恐怖が

めちゃくちゃ強く上がってます、とも。

返信が来たらドキッとしたけど、

「全然何も感じないので大丈夫だし、

りょうさんが深刻な間違いを犯せるという信念を手放す機会に

なると思いますよ。」と優しく言ってもらえた。

その時、ホッとすると同時に

恐怖の思考と現実にこんなにギャップがあるのかと驚いた。

そんな経験は最近何度もあった。

恐怖や自己嫌悪感とかが強烈に上がるから、

毎回バンジージャンプだけど。

 

自分や相手が不愉快になったり

強い感情が出てケンカみたいになる時もあるけど、

それ込みで大丈夫なのか。

 

『Mitty』

ジェニーさんたちが話していた映画。

主人公ミッチェルは、

雑誌を作る会社の暗い地下部屋で写真の現像技師をしている。

ミッチェルは自分を「大した価値のない、

人間関係や異性にも臆病で不器用な人間」と感じながら

生きている。

それがあるきっかけで写真家を追う旅をすることになり、

会社の地下という慣れ親しんだ安全圏を出て

時に危険な場所や美しい場所やいろいろと旅する。

自分の狭い世界観から未知に解放されていくような感じ。

ちょっとネタバレだけど、

最後の表紙の写真シーンは胸に響いた。

雑誌の表紙を飾るような有名人と同じく

貴重というか大切な存在なんだよ、

というメッセージを感じた。

だから自分を粗末にしなくていいんだよ、という感じで。