呼んでいる胸のどこか奥で

2016年から奇跡講座を学んでいます。デイビッドはDavid Hoffmeister氏で、ワプニック博士はKenneth Wapnick博士てす。MWGEはコース学習者のための映画紹介サイトhttps://mwge.org/ です。

おばあちゃん

祖母に会いに行くのが怖かった。

躊躇していた。

今年の春頃、祖母に電話して、

以前に祖母からかかってきた電話に出てなかった理由、

祖母からきてほしいと言われても行かなかった理由を話した。

理由は、

祖母から「早く就職して結婚して子どもを持ってほしい。

わたしが死ぬまでに早くして、あなたが心配。

わたしを安心させて欲しい」と涙ながらに言われると、

自分が惨めさと悲しみ・無価値感や情けなさを強く感じるから。

その惨めさと胸が痛くなる悲しみを感じるのが

怖いから祖母を避けていた。

それを電話で言葉にしたら、

自分でも意外なほど自分が泣き出して、驚いた。

鼻水と涙を出しながら話した。

祖母は、「りょうくんは優しい。あんたは優しいのよ」

と励ますように言っていた。

祖母に会いに行きたい。

怖いのは、やはり

祖母に「仕事、結婚」と言われて

自分が痛い嫌な感情を感じること。

でも確かに祖母のところに行く感じはする。

自分って何なの?

直子さんが言ってくれる本来の自分と

自分が毎日感じてる弱くて臆病で卑しい自分のギャップがすごい。

のりこさんも話していたエリックは

毎年自分が別人に変化しているように感じてると言っていたけど。

自分が本当はどういう存在かも自分じゃぜんぜん分かってないし、

捏造された自我としての自分についても見えてない。

自己卑下でもなくまるで分かってない。

え、これ投影だったの!?

自分では自分の信念・感情・相手の心や動機のイメージとかが

めちゃくちゃリアルな現実にしか見えない。

無意識にすっかり信じ込むから、

それが妄想というか勘違いとはまさか夢にも思わない。

しかも、投影を相手に打ち明けるのはめちゃくちゃ怖い。

1番話すのが嫌な恥ずかしい感情や思考を

打ち明けると、

それが妄想だったことがわかったときに

「あ、これ俺の妄想だったの?なーんだあーよかった」

と感じるけど

それまでは深刻に信じているから

罪悪感と絶望感と自己嫌悪を感じながら

口ごもりながら小さい声で打ち明ける。

打ち明けると、それが妄想だったってわかって解放されるけど、

打ち明ける勇気を出すまでが。

自分で間違えていたいとすら思えなかった。

相手が無条件に愛を与えてくれていても

自分が「この人は欲望のために自分を利用しようとしてる、

欺こうとしてる」みたいに投影すると

相手がそれにしか見えなくなって。

自分が犠牲者になる信念から感情や知覚を経験する。

知覚が完全に真っ黒に捻じ曲げられるのを感じた。

「それ妄想だよ笑」って言ってもらうまで

全く気づけないなんて。

本当に悪夢と同じ。

純粋無垢な与えるだけの愛でも投影で真っ黒に塗り替えられるのかって

愕然とした。

家事・労働の罪悪感

実家でも、母が掃除・洗濯・皿洗いとかしたりしていると

自分は罪悪感を感じる。

いたたまれない。

母がかわいそうに感じる。

実際に疲れてない?とか聞くと「いや疲れてないよ」

って平気そうに言うけど、

自分が家事をしなかった日は特に

申し訳なさを感じる。

過去の合宿で自分は何もしてないのに他の人が体を動かしていることに

辛さを感じた例はあったと、ある人から聞いた。

「体を動かすのは犠牲」という信念と、

無条件に何か受け取ることは罪で赦されないみたいな感じ、かな。

直子さんは「与えることが幸せになるときが来るよ」

と教えてくれた。

 

 

子どもの頃

今日の夕方は自分や相手への疑念とか不信とか

自分が間違った状態で気づかずにここまで来てしまったのでは?

とか

恐怖と疑念で心が重く苦しくなって、

体も動かなくなって、

明日出かける準備もできないなこれは、

もう明日出かけるのは無理だ、

相手に申し訳なさすぎるみたいな思考がグルグル回っていた。

重苦しさと恐怖と絶望感。

ある人にエクスプレスさせてもらえて少し軽くなって

やおら準備を夜に始めると

突然ウキウキし出して楽しみになって

体が軽くなってアクティブに一階と二階をバタバタ往復しながら準備をした。

こんなに短時間で闇に沈む状態から急激に変化するものかと驚いた。

躁鬱だと思われてもおかしくないけど

幼い子どもの頃を思い出した。

夏休みに親戚が集まる祖母の家に行く前とか、

楽しみだった映画を家族で見に行く前とか

好きだった女の子と電話で遊ぶ約束をした後とか、、

とにかく楽しみでウキウキして体が軽くなる感じ。

コースを始めた時がノイローゼというか

希望や情熱もなくて恐怖に縛られて体がガチガチに重苦しくて

風呂に何ヶ月も入れないほど体が重く感じてたのが

7年続いてて、

それ以前にもたぶん12歳くらいから続いていた

憂鬱・人生への絶望感、無意味感、行き詰まり感から

久しぶりに15年ぶりくらいに解放されて

幼い頃のウキウキ感を思い出した感じになった。

あ〜あの頃こうだった、みたいな。 

11歳くらいには、

既に映画とか旅行とか祖母の家でウキウキしなくなり

好きだった女の子たちと一緒に遊ばなくなりで

生きる喜びみたいなものを感じなくなっていた。

またズーンと沈んだりするだろうけど、

ちょっと今日は驚きだった。

 

 

やれてなかった

前にも書いたけど、

公園にいて銃で女性を撃って殺した夢を見た時。

自分の指が銃の引きがねを引いて、

女性が死んだ、

というのを体験して

その後「自分は人を殺した、

死ぬまで一生殺人者として生きていくんだ、

この現実は厳然として存在していて、

もう全く幸せになる希望はないんだ」

みたいな感じで祖母の家のリビングで真っ暗に絶望感に浸っていた。

その時は本当に全てが完全にリアルだったし、

自分は目が覚めていて現実を見てるとしか思えなかった。

その後バイロン・ケイティの「Is that true?」という言葉を

思い出してこれ夢だ、と気付いた時。

平安のツールの「投影は非常にリアルに見えます。

なぜならその目的は心の内側から目をそらすことだからです」

って言う文章。

自分が加害者で被害をもたらした、もたらせるという信念。

その信念が映像化されて体験映画になっていたけど

本当に罪悪感感じろ劇場がめちゃくちゃリアルだった。

自分の心が想像の中でめちゃくちゃリアルなストーリーに

完璧にのめり込んで絶望していたという

自分で自分を罪悪感と絶望感に幽閉できるパワーの

強さが

あーこんなに強いのか、みたいな感じだった。

毎日目が覚めている時も同じことやってるのかな。

まだそうはあまり思えてないけど。

浮き彫りにされた自己嫌悪

去年から知り合った何人かの人から、

「あなたには真っ直ぐなところや、何か純粋なものを

感じますよ。」

とか、他にも何が善というか良い所があると言って貰えることがあった。

ありがたい気持ちだったけど、

その度に感じたのは、

「いや、自分はあなたが見ているような

純粋な心じゃない。

本当は汚くて臆病で醜くてズルくて卑しい、あさましい心のある人間だ。

そんな自分に純粋と言われるのは違和感というか、

自分が純粋無垢ではない感覚を浮き彫りにされて逆に苦しくなる」

みたいな感じで、

「俺はズルい汚い卑しい心なんだ!」みたいな

言い張りが口から出てきたことがあった。

レッスン93.1

「あなたは自分の中には悪と闇と罪が住みついていると思っている。」

93.2

「こうした信念はあまりにしっかりと定着しているので、

それが虚無に基づく信念であることがあなたにわかるように助けることは、

難しい。」(中央アート出版『奇跡講座ワークブック編』より引用)

とあったのを思い出した。