歪曲
何年も前、
ある女の子が「今度会う時、太った? って絶対に言わないで。絶対に。」
とメールで言って来たことがあった。
まるで女の子が太ったことが他人に一目で察知されて
それを指摘されるのを信じている感じで、怖がっていた。
実際には見た目でわかるほどの変化は全然なくて、
言われるまで全くわからなかったし、
言われても見た目じゃわからなかった。
過去に太ったと自分が言ったこともなかった。
でも、本人はとても怖がっていた。
自分も同じ恐怖=
「働けず家にいたことを見下される恐怖、
無価値だと思われる恐怖」があって、
そのせいで他人のわずかな言動や目線をそのように思い込んで
脅威や恐怖や憎しみを感じて怒る、ことがあった。
前にも書いたけど、
後で打ち明けて聞いたら相手にはそんな意志は
まるでなかったりした。
その見下される・裁かれる恐怖が一つの原因になって、
他のコース学習者と初めて連絡を取るのに6年もかかった。
人間に話しかけるのに6年かかったのだから、
「無意識の罪悪感から神を恐れている」とすると
神とのコミュニケーションを回復するのは6年じゃ済まないのは
当たり前かもしれない。
「知覚は内的状況の外的映像」って言うのは本当にそうだけど、
自分じゃ全く気づかない。
知覚と解釈が歪んだ状態でガッチリ固定されて、
妄想なんだけど恐ろしい知覚が厳然とした堅牢な現実としか思えない。
その見方が現実と乖離して大きくズレていることには
全く気づけない。
他の人からするとあからさまになんかおかしいのが感じられるから、
指摘されて初めて気づく。