呼んでいる胸のどこか奥で

2016年から奇跡講座を学んでいます。デイビッドはDavid Hoffmeister氏で、ワプニック博士はKenneth Wapnick博士てす。MWGEはコース学習者のための映画紹介サイトhttps://mwge.org/ です。

ホームレスの意地

2年くらい前に見た番組で、

ホームレスの人をサポートしたりする「抱撲の会」

(直子さんに教えてもらった。枯れ枝を抱く というところが由来らしい)

という名前の食事や住居とかを提供する

非営利組織みたいなのを立ち上げて活動している

たぶん50歳くらいの男性のドキュメンタリーがあった。

その人はクリスチャンだった。

直子さんに教えてもらって思い出したけど、

枯れ枝を抱くというのが暖かい感じでそれが心に残っていた。

その人が数年前から気にかけて声かけをしたりいろいろサポートしていた

60か70歳くらいのお爺さんがいた。

そのホームレスのお爺さんは長い間アルコール依存症で、

お金はどこから得ているのかいつもお酒を飲んでいた。

クリスチャンの男性はそのお爺さんを心配して

住居を提供しようとして声かけを粘り強く前々からしているけど、

お爺さんは「いや悪いよ。俺はまだまだ大丈夫、元気だから。

それにサポートを受けたら規則があるから

自由に生活できなくなるしお酒飲めないし。」

という感じで断っていた。

クリスチャンの男性は

「あんたみたいな人を放って置いたら、

ある日野外で死んでいたりするんだよ。

自分ではまだまだ大丈夫と思うだろうけど、

意地を張らないで。もういい年だし。

体調が悪くなってから助けを呼ぶのじゃ遅いから。

それだと野外で死んじゃうから、

自分で大丈夫と思っても

早め早めに助けを受け入れた方がいいんだよ。」と言っていたのが、

なんか響いた。

お爺さんが自分勝手に生きるのを手放したくない感じというか、

助けを受けいれたくないというプライドというか、

「自分でなんとかするから、放って置いてくれよ」という感じ。

野良猫のプライドというか。

なんか共感した。

聖書の放蕩息子にも見えた。

そういえばカースティンさんのお兄さんもホームレスで、

カースティンのお父さんがお兄さんを心配して

口座にたくさんお金を振り込んでいても、

お兄さんは全く気づいていなかったという話があった。

風呂に4ヶ月入れなかった時の自分も、

「風呂に入ったらなんか負けるというか自分が弱くなるというか、

何か降伏するような感じ」があった。

意地を張るのをやめたくないというか。

風呂に入ったらJACIMの人たちやリビングミラクルズとか

のりこさんに話しかけて助けを求めるしかないと分かっていたから、

尚更風呂には入れなかった。

あとそのお爺さんがボランティア団体から提供された

住居に入居して約束としてお酒を飲む量を減らした後、

クリスチャンの男性の知り合いだった

不登校の中学生くらいの男の子がそのお爺さんに

なぜかなついて、

そのお爺さんの部屋にいつもいるようになって、

クリスチャンの男性が

「神はホームレスの男性もちゃんと役立ててくださる」

と言っていて、

その時は不登校の男の子がなんでわざわざ

あまりキレイでもないアルコール依存症のお爺さんの

近くにいたがるのかわからなかったけど、

今気づいたのは、

ずっとホームレスだったお爺さんはもともと社会に適合するタイプの

人間じゃないから、

自由勝手にお酒を飲んで気ままに生きてきたから、

男の子に対して「お前学校に行けよ。まともに生きれる人間になれよ。

社会に適合しろよ。アフタースクールに行けば?」

みたいな感じで

不登校の男の子をなんとか正しい人間に改善したりアドバイスしないから、

そのテキトーさが男の子にはたぶんありがたかった。

自分の両親は社会にがっちり適合した立場もある教職なのもあって

「自分の子どもをなんとか優秀でまともな社会に適合した人間にしなきゃ」

みたいな感じが昔からあって、

自分が大学に行かなくなると

必死で大学に戻そうとしたり部屋の外に出そうとしたり、

「なんとかこの子をダメな場所から引っ張り出さなきゃ、

改善しなきゃ」という必死のコントロールがあった。

今はもう両親はさすがに疲れて諦めたのかもうやめたけど、

不登校の男の子からしたら、

「まともな社会に適合した人」から

「このかわいそうな男の子をなんとか改善しよう」みたいな見方をされるのは

心底うざいというか、

ただありのままを放って置いて欲しかったから

たぶん気ままなホームレスのお爺さんの部屋は居心地が良かったのかな。

あとそのクリスチャンの男性が、

「どんな夜にも朝は来る、太陽は昇るというけど、

キリストの象徴はなぜか太陽ではなく、闇夜に輝く一つ星🌟なんです。

というのはキリストは希望が全く見えない、

絶望しかないようにしか見えない闇夜の中でこそ光り輝いて、

わたしたちに希望を与えてくれるから」

と言っていて、なるほどと思った。

『天国から離れて』(中央アート出版)でも、

エスが「キリストの象徴は闇夜に輝く一つ星であり、

その光は既に訪れているが、

認識されるには時間がかかることもある」

と言ってヘレンみたいな強烈な神秘体験もなく、

赦しの成果もあまり見えずで

落ち込んで落胆しがちだったビルを励ましていたのを思い出した。

あとテレビで見た仏教のお坊さんが、

「太陽は光り輝いているけど、

眩しすぎて見つめられない。

月は下界の騒動に動じないで静かに穏やかに優しく光って、

見つめても大丈夫でしょう。

だから仏は月の光なんですね」

と言っていて、

確かに禅では「月を指す指」はあってもなぜか太陽ではなかった。

つまり月や一つ星は、

太陽が象徴する神そのものは普通の心にとっては恐怖や抵抗が強すぎて

直視できないものだから、

月や一つ星が象徴する仏や聖霊

朝を待たずに闇夜の最中に太陽の光を反射して光を淡く減衰させて、

闇に慣れすぎた人間の目に優しいように配慮しているのかと

納得した。

これを書いている最中に、

のりこさんが自分個人が消える恐怖・神への恐怖と抵抗を

今日強く体験したことを皆に教えてくれて、

タイミングが良かった。