呼んでいる胸のどこか奥で

2016年から奇跡講座を学んでいます。デイビッドはDavid Hoffmeister氏で、ワプニック博士はKenneth Wapnick博士てす。MWGEはコース学習者のための映画紹介サイトhttps://mwge.org/ です。

シェア参加の日程報告締め切り前、

「自分は他の人たちみたいに

合宿とかファンクションも参加できてないし

働くこともできてない、

つまりみんなみたいに行動したり前に進むことができてない。

少しずつは進んでいるにしても、

大体は嫌なものに直面する勇気も出なくて同じところでループしてるだけで

そんな自分はシェアするにも他の人みたいに新しい経験

を話すこともできないし、

自分にはシェア参加する資格はない。

ほかの人たちに遠慮して譲るべきだ」

という考えと無価値感みたいな感情に圧倒された。

直子さんに話すと

「誰かの体験は他の人にも同じように響くものがあるし、

個人的なシェアはないから必ず他の人にも関係がある」

と言ってくれた。

しょうこさんは

「自分自身にも当てはまるけど、

合宿でのりこさんが言っていたみたいに

知覚を使って信念を証明しているように見えます」

と言ってくれて、

自分の考えが間違っているのかもという可能性に

心が開いた感じだった。

自分ではすっかり信じているから

ほかの人に言われるまでハッキリ自覚できなかった。

深刻な状態だと

平安のツールのAが原因であるようにしか思えないんだけど、

後で振り返ると

「頑張りが足らない自分には資格がない、遠慮すべきだ」

という考えを証明しようとしていたかもと思えた。

そう言えば子どもの頃、

友達から「遠慮したらダメよ」と何度か言われていた。

ゆうこさんがブログで書いていた

『Natural 』という漫画で、

メガネのガリ勉風の男の子が

「バスケの時にボールをもらっても躊躇してシュートしない」

というシーンがあった。

「俺は下手だし失敗するから他のやつが撃てばいい」

と言うメガネくんに、

ミゲールという主人公は

「失敗してもいいから撃てよ!撃たなきゃ始まらないだろ」

みたいに言っていた。

自分が中学生の頃

バスケの時間でやはり失敗するのが嫌で

メガネくんと同じでシュートできる距離でも味方にパスしていたら

同級生から「シュートすればいいのに」と

言われていたのを思い出した。