呼んでいる胸のどこか奥で

2016年から奇跡講座を学んでいます。デイビッドはDavid Hoffmeister氏で、ワプニック博士はKenneth Wapnick博士てす。MWGEはコース学習者のための映画紹介サイトhttps://mwge.org/ です。

『ショーシャンクの空に』/Shawshank Redemption

ネタバレになる部分はなるべく書きません。
叔母がトゥルーマンショーともうひとつ強く勧めてくれた映画が
ショーシャンクの空に」だったけど、
刑務所モノは暗いというか辛いイメージなのもあって
見たくなかった。
重い雰囲気だしこれがガイダンスとは思えず
なんか見たくない嫌な感じで
他の映画を見たほうがいいかと思ったけど、
最後には見れて良かったと強く感じた。
最初はこれでもかと残酷で暗い絶望的な状況が描かれていて
暴力描写もあり辛くてもう見たくないという感じになったけど、
中盤あたりから希望が少しずつ見え始めた。
この前デイビッドの映画リトリートで
マリリン・モンローの映画を見たので、
主人公のアンディが独房にマリリン・モンローのポスターを
貼った時にハッとした。

youtu.beこの映画を見はじめる前にSpiriアプリのデイビッドの↑の動画を見ていたのだけど、
その内容がまさにちょうど奇跡的に映画の内容にピッタリだった。
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1:16 デイビッド:あなたが心底幸せや喜びを感じていないときは、

あなたの中で妥協が起こっています。
妥協においていちばんやっかいなのは、
妥協していることが自分でわからないことです。
あなたは、自分は妥協していないとあなた自身に思い込ませました。
「自分はすでに十分良い人生を手に入れている。
地球のほとんどの人よりもマシな人生を手に入れているのだから」
という感じです。
3:49 わたしたちは妥協を明るみにさらけ出して、

それを終わらせるためにここいるのです。
4:50 なぜならもし私たちが何が起こっているか知ってさえいないのなら、

そこでは何か怪しいことが起こっていて、
あなたが100%幸せで喜びに満ちていないけれど、
それが何なのかわからないでいるというとき、
まさにそれが
”たぶん私は地球の上で見つけられる偽りの幸せがあると考えている
妥協をしているかもしれない”というふうに見るための
絶好のチャンスなのです。
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映画の中で、主人公のアンディは自分の無実が証明されて終身刑から
自由になることを本気で望んだり
刑務所から解放された後の希望を話すけど、
モーガンフリーマンが演じるレッドは、
「希望を持つのは危険だ。
希望をはやく諦めて、現実を受け入れろ。
俺は何十年もここで暮らして慣れきっているから、
シャバではもう生きて行けない。
終身刑の俺たちが希望を持っても辛いだけだ。
俺は塀の中ではみんなから頼りにされて安全に感じているけど、
外では何の価値も無い老人だ。もう生きられない。
最初は塀を憎むけど、時間が経つにつれて塀に依存してしまった」
という感じだった。
アンディやレッドたちは
看守や囚人たちから慕われたり頼りにされる特別な立場を築いてた。
肉体労働をする他の囚人と違って、
銀行家だったアンディは財テクとかマネジメントの仕事を任されて、
看守からも保護されてそこそこの自由を許されるいい立場になってた。
レッドは看守とコネを作って、
ここですでにある程度の自由もあってまあまあ幸せだから、
この安全な場所にいれば満足という感じだったけど、
アンディは「人生は結局、生きることに忙しくするか、
死ぬことに忙しくするかだ」と言って妥協しなかった。
塀の中でまあまあ特別ないい立場を築いて満足するレッドが、
デイビッドが言う世界の中で妥協する心のシンボルに見えた。
真っ暗な懲罰房から出てくるときにアンディの
目が光に耐えられないところも、
テキストの文章を思い出した。
アンディが規則を破って音楽を刑務所中に流した後、
「音楽は心の奥にある何か大切なものに触れるから
みんなの胸がきゅーっとなるんだ。
心は目に見えないけど、心の中にある希望は決して誰にも奪えない。

そう感じたことあるだろ?」
と言ったとき、
レッドはその言葉を理解できないという感じだった。
レッドは色んなモノをこっそり調達する立場で
モノのことばかり考えて、
モノを手に入れる世界では達人だけど、
希望とか心のことはすっかり忘れ去っているように見えた。
アンディが自由になれたらメキシコに行くとレッドに言っていて
太平洋に面した温かい場所であるメキシコのジワタネホ
が天国というか希望と自由の象徴みたいになっていたけど、
デイビッドたちがいるメキシコのチャパラに
自分も憧れというか希望があったから
アンディと自分が重なって見えた。
メキシコのシーンでは、
地名の看板にカースティンさんの苗字の”Buxton”があってハッとした。
「希望は捨てろ」と言ったレッドにアンディが
「希望はいいものだ。多分最もすばらしいものだ。
良いものは決して滅びない」と手紙で伝えるシーンでは
「そうだ。希望こそリアルなんだ!」みたいな強い感動を感じた。
そういえば、デイビッドの苗字の"Hoffmeister"は、
ドイツ語で”希望の主”という意味だったということに
デイビッドが40歳になってはじめて知ったと話していたのを今思い出した。
自分が4ヶ月風呂に入れなかった時は、
千と千尋のオクサレ様になった気分だったけど、
まさにアンディが2ヶ月懲罰房に入れられた時みたいな感じだった。
本当に希望も無く、幽閉されたような感じで絶望してた。
レッドは「俺たちの人生は最高でもこんなもの。
まあまあ幸せじゃないか。
これ以上の、本当の心からの喜びや希望なんてありえないし、
俺たちには決して手が届かない。
俺たちが本当に解放されて幸せになることは
どうせ絶対にないんだ。」
という感じで結論付けて諦めて、
デイビッドがよく言うようにすっかり
「静かな絶望の人生」モードだった。
その心は一見、成熟して悟って達観したかのように見えるけど、
それは妥協なのかと感じた。
母はよく、「普通に生きられることはありがたいこと。
普通に生きられない人もいる。
体が健康で家族が健康で、ちゃんと働けるだけで感謝しなくちゃ」
と昔言っていたけど、
今思えばそれはデイビッドが動画で言っていた、
「地球の中では、
自分たちは恵まれない人より比較的恵まれててマシだから
これで満足しよう」という感じだった。
自分もそう思ってたけど、
母はあまり幸せそうには見えなかった。
尋ねると言葉では「幸せだよ。」と言ったけど。

汚い下水管の中を糞尿まみれで這いずるアンディを見て、
どんなに汚くてみじめで絶望的な状況でも
どんなに絶望に沈みたくなる状況でも、
あえて、あえて
何か一縷のわずかな望みを信じる意欲を差し出す
とか、
罪悪感や恐怖や無価値感や自己嫌悪の中を通り抜けて
向こう側にある自由にたどり着く
みたいなものを感じた。
デイビッドが、「わたしたちはほふく前進で少しずつ進む
亀のようです」と言ってたのを思い出した。
自分にとっては、それは4ヶ月ぶりに風呂に入って
JACIMに参加したり長いヒゲを剃ってのりこさんに
初めてメールしたりすることだった。