呼んでいる胸のどこか奥で

2016年から奇跡講座を学んでいます。デイビッドはDavid Hoffmeister氏で、ワプニック博士はKenneth Wapnick博士てす。MWGEはコース学習者のための映画紹介サイトhttps://mwge.org/ です。

特別な関係はアディクション?

https://note.com/stmmk/n/nbe5c19bba634

ももこさんの映画Nineについての記事で、

「家族や友人などの特別な関係は、

自我の自己概念を守る防衛として働く麻薬だから、

聖霊は主人公から彼らを引き離す必要がある」というのを見て

思い出したこと。

Living Miracles のEricさんが、

「私たちが世界で経験することは、実際には全部アディクションです」

と言っていた。

全部か、、、という感じ。

ツイッターで子育て漫画を投稿なさっているハムロさんという方が、

「自分の子どもを朝抱きしめていると、頭がファーとなるんですわ」

という漫画を投稿していたけど、

まさにそれは子どもとの一体感がとても幸せに感じられる、というのを

半分茶化して、麻薬みたいに描いた漫画だった。

映画Nineを見ると、前にも書いたけど、

いつも高校の修学旅行の北海道のスキー場の、

自分と全く同じ顔の男性がかわいい子どもと妻と、

幸せそうに写ってた写真を同級生が見つけてくれたのを思い出す。

まさにNineの、平行世界の主人公が妻子といたみたいな場面だったけど、

あの写真の男性にとっては、妻と子どもは親愛さ、幸せの源なんだろう。

自分が同じ立場なら、たぶんそういう愛着を抱いていた。

しかも、その男性が結構ハンサムに見えて、

自分の自己概念としても、まさにお気に入りの写真だった。

自分では妻子が欲しいとは感じなくても、幸せの頂点に見えた。

スヴァヴァさんは、家族を離れて出発する前、

息子さんたちと写った写真に「偶然」

ロウソクが垂れて、写真の中の自分の姿だけ消えたとき、

聖霊に「どう感じる?」と言われたらしい。

自分のイメージや家族という最大の愛着。

親子が特別な愛着を持つのは、

1番社会で正当化されてる関係かもしれないけど、

これもアディクションなのか、、、確かにそうか、、という感じ。

特別な関係は自我が最も自慢とする武器である、

みたいな文がテキストのどこかにあった。

中央アート出版『奇跡講座テキスト編』より。