呼んでいる胸のどこか奥で

2016年から奇跡講座を学んでいます。デイビッドはDavid Hoffmeister氏で、ワプニック博士はKenneth Wapnick博士てす。MWGEはコース学習者のための映画紹介サイトhttps://mwge.org/ です。

見た目が中身を隠している マトリックス4

マトリックス4を見たとき、

新しいマトリックス世界に記憶を忘却されて捕まって、

すっかり単なる一般人として暮らしてたネオとトリニティが、

「かつて2人ともマトリックスから目覚めてたこと」

をお互いに気づかないように、他人からも、お互いからも、

2人の外見が全く別人に見えるように、

マトリックスのプログラムで設定されていた。

トリニティは顔が全く違う金髪の白人女性に、

ネオはホームレスみたいなおじさんの見た目に、見事に擬装されていた。

「外見や形態は心を欺く」とテキストのどこかにあったけど、

ネオやトリニティが本当は誰なのか、

本人たちや他人が気づかないように、プログラムが外見で欺いてた、

というのが、映画を見ていて、気になった。

実際、怖く見える見た目の人が実は優しかったり、

外見で優しく見える人が、実はそういう心の状態じゃなかったり、

色々な所で「外見と実際の中身にギャップがある」のはよく感じる。

あと、マトリックスシリーズの監督のウォシャウォスキー兄弟が、

2人ともいつのまにか男性から女性に性別が変わっていて、

髪型や見た目も激変して女性になってウォシャウォスキー姉妹になって

いたのを見たときは、正直心底驚いた。

もともと心が女性だったけど、体の見た目や世間体は、普通の男性です、

ということにしていたのかな。

そういう意味でも、体の見た目と中身には、ギャップがあったのか。

マトリックス4の監督の姉妹の妹さんは、

過去のインタビュー映像で、

マトリックスはトランスフォーメーション、

変身についての物語だった。

トランスジェンダーの人が、マトリックスの世界では、

自分の心に忠実な性別として存在できる、という描写をしたかったけど、

あの時代ではまだ、世間も映画業界も、そういうことに準備ができてなかったから、描写できなかった。

マトリックスの主人公は男性で、

女性のキャラクターについてあまり描写できなかったから、

いずれ女性にフォーカスしたい」と言っていて、

だからマトリックス4はトリニティにスポットが当たったのかな、

と思った。

あとマトリックス1の、スイッチという短髪の見た目の女性は、

本来の設定ではトランスジェンダーで、

現実世界では体が男性だけど、

マトリックスでは見た目が女性に切り替わる

という描写をする予定だったらしい。

だから名前がスイッチ(切り替わる)だったのか、と納得した。

ゲイリーレナード氏の本のどれかで、人は何千回と生まれ変わるし、

見た目も変わるし、ひとつの人生の中でも変化して生まれ変わる、

とあったけど、

マトリックスの監督たちは、たしかに生まれ変わっていた。

監督がトランスジェンダーの人だったからこそ、

世間の価値観や常識に囚われないで生きるというテーマを、

世界に向けて発信したい気持ちが強くあって、

それが、トリニティが妻や母親といった女性の人生の規定路線から

思い切って自由になる、という描写になったのかな、と思った。

あと序盤のネオが、マトリックスの世界から解放されたいと感じつつ、

記憶もなく、本来の力も忘れて、見た目も別人にされていて、

周りの人や心理セラピストたちからも、

「君はただストレスでおかしくなっただけで、

マトリックスから目覚めるなんて、ただの妄想だよ。

この世界で、今の地位や環境に満足して、

ただ働いて生きればいいんだよ。

この世界が現実じゃないなんて、マジメに考えるなよ。

妄想的なたわごとだよ」

という洗脳をずっとされていて、

ネオ自身が狂っているのか、世界が幻想なのか、

どっちなのか確信が持てずに迷って葛藤しているところは、

まさにわかる、と共感した。

『神の使者』に、確かアーテンが、

コースをはじめた頃は、まさにあんな気持ちだった。

今でも、そう感じるときがある。

そういえば、確か『神の使者』でアーテンが、

「コースは洗脳だと思うかもだけど、

君たちはすでにエゴに洗脳されちゃってるんだよ」

という感じのことを言っていた。

トリニティが夫や子どもたちをとるのか、

マトリックスから解放されるのかを選ぶシーンでは、

1番感動したのは、やっぱりトリニティがネオと一緒に解放されるのを

選んで、「ネオ‼︎」と叫んだシーンだった。

昔のあのトリニティが帰ってきた、という感じだった。