呼んでいる胸のどこか奥で

2016年から奇跡講座を学んでいます。デイビッドはDavid Hoffmeister氏で、ワプニック博士はKenneth Wapnick博士てす。MWGEはコース学習者のための映画紹介サイトhttps://mwge.org/ です。

闇に光を当てる 闇を光に運ぶ

今までのZoomのミーティングで、これは言いたくない、

言える気がしない、ということがあった。

年末のミーティングということもあって、参加者の方が少ないのもあり、

信頼できる参加者の方々がきっかけをくださった形になり、

初めて他人にそれを話した。

自分の顔をPCのカメラで写しながら参加したのも、初めてだった。

恥ずかしくて、正直、ブログには書けないこと。

話してみたら、押し入れとか倉庫に何年もしまっていた、

古い感情とか記憶を初めて明るい場所に引っ張り出したような、

なんというか、地下に埋まっていたものに久しぶりに、

新鮮な風や日光が当たったような感じがした。

話す前は、話した後、後悔するかもとか、話すこと自体、無駄、

他人に恥や情けなさ、つまり弱みを知られて、損しかないのでは、

とも思ったけど、

他人に話すことによって、むしろ意外にも、他人に知らせるというより、

自分が自分に隠すのをやめて、

自分が自分の感情や知覚にはっきりと真正面から気づけた、

という感じだった。

あまりに嫌な記憶や感情は、あまりに嫌な感情だからこそ、

自分でも自分から、普段は隠している。

感情的な苦痛を味わうだけだから。

まさにそれが否認ということなのだろうけども、

信頼できる方々に話すという行為を通して、

自分が見たくなかったところ、思い出したくなかったところに光、

スポットライトが当たったような感じだった。

他人にそういうことを話すのは初めてだったけど、新鮮な感じがした。

赦しの実践て結局、普段は見たくない、思い出したくもない、

映画『リング』の井戸の底を覗いて、スポットライトをパッと当てる、

という感じなのかな、と実感から思った。

デイビッドかフランセスが、

あなたが他人に隠したいと思っていることは、

それを聖霊にも隠している、と言っていたのが、ある程度腑に落ちた。

目を背けたくなるような、醜くて汚いものを、

あえてスポットライトが当たる場所に引っ張り出してきて、

はっきりと真正面から向き合う、見るという感じになったけど、

その背後、向こう側にあるものを見通すには、

はっきりと真正面から見るしかないのか。

『神の教師』2007年書籍版 P232 にちょうどピッタリな文章があった。