呼んでいる胸のどこか奥で

2016年から奇跡講座を学んでいます。

譲れない思い

家族や友人でも、他人でも、

過去に自分が被害者になっていたときも、

自分が加害者になっていたときも、

「自分や相手が肉体的・心理的な苦しみを味わわされた。

だから、相手や自分は責められて当然だし、被害者が怒るのは当然、

被害者には、怒る権利が確かにある」

という、固く握り締められた、確信というか信念がある。

これだけは絶対に譲れない事実だから、

自分は相手を責めたり憎んだりする正当な権利があるし、逆に、

自分が相手に苦しみを与えた場合では、

自分が罪悪感を感じざるを得ない、という。

加害者と被害者、肉体がリアルだ、という見方が、

絶対に揺らがない固い事実だ、という、強い握り締めがある。

これだけは絶対に譲れない。

これだけは足元の固い地面や岩盤のように、底にある厳然たる現実だ、

という感じ。

これが障壁の表面なのか?