譲れない思い
家族や友人でも、他人でも、
過去に自分が被害者になっていたときも、
自分が加害者になっていたときも、
「自分や相手が肉体的・心理的な苦しみを味わわされた。
だから、相手や自分は責められて当然だし、被害者が怒るのは当然、
被害者には、怒る権利が確かにある」
という、固く握り締められた、確信というか信念がある。
これだけは絶対に譲れない事実だから、
自分は相手を責めたり憎んだりする正当な権利があるし、逆に、
自分が相手に苦しみを与えた場合では、
自分が罪悪感を感じざるを得ない、という。
加害者と被害者、肉体がリアルだ、という見方が、
絶対に揺らがない固い事実だ、という、強い握り締めがある。
これだけは絶対に譲れない。
これだけは足元の固い地面や岩盤のように、底にある厳然たる現実だ、
という感じ。
これが障壁の表面なのか?