赦せない気持ち 『自分と同じ苦しみを味わえよ』
まえに、いくたはなさんの記事を貼ったけど、
またいい漫画の記事があった。
https://woman.excite.co.jp/article/child/amp_BabyCalendar_22877/
いくたさんが3人目を妊娠して、旦那さんが育休を取る決意をしたとき、
本来なら、夫が家にいて育児に協力するわけだから、
悪い話ではないはずなのに、
「体調を崩した子どもの迎えに行くために、
自分は職場を早退したり、長く休んだり、肩身の狭い思いをしたのに、
夫は育休を取って、しかも子育てに協力するいい夫みたいで、ずるい、
夫にも、同じ辛さ、苦しみを味わって欲しい」
というダークな気持ちがあることに気づいて驚いた、という内容だった。
「他人にも、自分と同じ苦しみを味わってもらわないと、納得できない」
という気持ち、前の自分にもあった。
自分は高校に進学するとき、周りから偏差値が比較的に高い進学校を
勧められて、工業高校とかに行ってなじめるタイプの性格じゃなかったし、地方であっても、頭の良い子が集まる学校なら、
分かり合える、波長が合う子が多いのでは、という気持ちもあり、
進学校を選んだ。
でも、親とかが喜ぶから、大学進学を明らかに期待してる親が認めるだろうから、進学校を選ぶしかない、という気持ち、
強制感、犠牲者感があった。
これしかまともな選択肢が用意されてないんだから、
これ選ぶしかないじゃん、という気持ち。
小さな頃から大学まで、頭の良さを認めてもらえない、
ということはほぼなかったタイプだったけど、それだけに、だからこそ、
「進学校に行って、自分より賢い、頭が良い子ばかりだったら、
どうしよう?劣等感に悩まされるんじゃないか?」
「自分の長所、取り柄、価値の証明は、
周りよりも明らかに頭が良いこと、
知識もあって、より進歩している子であることだったけど、
そもそも、頭の良い子が集まる場所に行ったら、
自分はそんなに特別じゃない、
実は、大したことない存在、自分を特別だと思いこんでいた、
愚かな、井中の蛙だったことが、順位とかでハッキリしてしまい、
挫折して、自分の無価値さ、情けなさに直面するのでは?」
という恐怖、プレッシャーが、あった。
それで、妹が進学した学校は、自分の学校より偏差値が低い学校だったことに、「赦せない気持ち」を感じた。
自分は長男だし、期待もあったし、
進学校に「行かざるを得なかった、行かされた、他に逃げ道もなかった」
にもかかわらず、妹は、それほど頭の良い子が集まるわけではない、
比較的に楽で、余裕がある学校に行けたのが、赦せなかった。
しかもその学校は、以前までは女学校で、そこに進学する男子は少なく、
なんか、ほぼ女子だけの環境で平和な場所を築いてるようで、
その平和さへの羨ましさもあり、逆に見下す気持ちもあった。
自分は進学校に「行かされて」やたらに頭の良い連中と一緒になり、
劣等感を感じたり、劣等感を覆すために、逆に模試で全員負かして、
自分の頭の良さを証明したりしなきゃならなかったのに。
妹だけ、平和な場所に行かしてもらえる。
女の子だからか、2人目の子だからなのか。
それで、妹に、「逃げるのか!」と言ってしまった。
偏差値が低い学校に行くのは、自分の限界まで挑戦しないのは、
「逃げ」だろう、という感じで。妹は何も悪くなかったのに。
いくたはな さんと同じ。
相手が、自分より、楽で平和な環境に行けるのが、ゆるせなかった。
自分がコースをはじめて、大学を辞めて、
働かずに家にいると、親や祖母が、
「働かないなんて、ありえない!
結婚して、子を持って家庭を築くことを目指して生きないなんて、
ありえない、おまえなんかホームレスになって、
働いて金を稼ぐ辛さを味わえよ!」
と、さんざん、言ってきた。
「毎日毎日苦しみながら、
働いて結婚して子を育てる、っていう既定路線、
決められたレールの人生の苦労をしない子どもが赦せない、
おまえもオレたちと同じ辛さ、苦しみを味わえよ!」
という、気持ちが見てとれた。
それで、自分も祖母や両親に赦せなさを感じ、
「戦中生まれの祖母、戦後の昭和に生まれ育った世代の父母には、
新しい世代の生き方は、理解しようもない、ネットで、
海外の人と交流して、新しい世界を学ぶなんてこともできなかった世代だから、エゴの狭い世界観から脱出できないのは仕方ない、
鎖国してた江戸時代の、地動説も知らない日本人に
量子力学を教えたって無理なのと同じで、
新しいものの見方や価値観を教えたって仕方ない」
という感じで、自分は自分で、親や祖母を、
「新しい価値観にはとてもついてこれない、
日本というちいさな閉鎖空間の価値観に縛られてる、
昭和の古い化石みたいな人間たち」
という感じで、差別している気持ちはある。
逆に、「昭和世代」の両親や祖母たちは、
「若い世代は軟弱で、自分の限界や、苦労や辛さからすぐ逃げる、
弱い世代だ」と見ている。
自分が妹に、高校のときにやったみたいに。
祖母や両親の価値観を代弁するかのような、
「若い頃の苦労は買ってでもしろ」という言葉に、いやそれは違うだろ、
戦時中の価値観をいつまで引きずってんだよ、と感じる。
「苦しんだやつこそ、偉い。苦しんだやつこそ、尊敬に値する。」
という、価値観が真の現実だと、疑いようもないほど、
すっかり思い込んでる。
「自分たちは人生で苦労したから、若いやつらにも、
同じ苦しみを味わわせてやる」という、両親や祖母の気持ちに、
赦せなさを感じて、
「おまえらみたいな、狭い井戸の価値観で生きてきた
昭和の世代に何がわかる!」みたいになってる。
デイビッドやフランセスたちも、やはりコースをはじめたときは、
親との葛藤があったらしい。
デイビッドの父親や、フランセスの母親は、デイビッドやフランセスの心が変わるにつれて価値観が変わったらしいけど。
両親たちがあれこれ言うのに動揺して、反応してしまったのも、
自分の中に、犠牲や苦労がリアルだ、人生とは苦しみなんだ、
という知覚があって、それが反応していたのか。