呼んでいる胸のどこか奥で

2016年から奇跡講座を学んでいます。

赤毛のアンと孤児

テレビでやっていた、海外の実写のドラマ版の、赤毛のアン

孤児院出身で、赤ん坊の頃に両親は熱病で亡くなった、

と思っていたアンが、

本当は自分は両親から邪魔もの扱いされて、捨てられたのでは、

という強い疑念や恐怖に駆られて、

孤児院に行って両親の記録を確かめる、という回だった。

赤ん坊だったから記憶がなく、自分が愛されていたのか、

どうしても確信が持てないアン。

アンとたぶん同い年で、アンのように引き取られず、まだ孤児院にいた、

見るからに地味な服を着ていた女の子は、

成長して、それなりに美しく着飾ったアンを見て、

「こぎれいな服を着て。中身は汚れているのに」と、

憎悪と嫉妬を露わにしていた。

孤児院は、まさに、親と一緒にいられなかった子どもたちの、

悲しさと不幸さ、不遇さ、世界への怒りの象徴みたいだった。

ドラマ版の脚色なのか、父親がいない黒人の青年のストーリーもあった。

母親が再婚し赤ん坊が生まれ、

自分は見捨てられて、邪魔もの扱いされてる、

どうせ自分は愛されていないんだ、という感じでひねくれていた。

アンも黒人の青年も、孤児院の女の子も、

みんなそれぞれ、自分は親から愛されてない、見捨てられたんだ、

だから不幸だ、だから怒りや嫉妬や不満や恐怖は正当化されるんだ、

「あの人たちは幸せだけど、自分だけは運命に呪われ、

みじめで不幸なんだ」

という世界観で生きていた。

アンの養母のマリラが、

アンが無謀な遠出を繰り返すのを心配して、

引き留めていたのを不満に感じたアンが、

「何でそんなに引き留めるの!?」と問い、

頑固で厳しい性格のマリラが珍しく、

「あなたを愛しているからです!」と大声で言い放っても、

アンは満足しなかった。

どうしても、血の繋がった両親からの愛を証明したい、確かめたい。

「自分は愛されてなかったのでは」という強い疑念、信念があるから、

マリラの愛を目の当たりにしても、全く安心できない。

先に幸せを手に入れたかのようなアンを恨んでいた孤児院の女の子が、

「あなたは愛されていたし、今も愛されていますよ」と言われても、

真実を言葉で説明されたけど全力で否認した涼宮ハルヒみたいに、

「いや、そんなはずはない。わたしは見捨てられたから、不幸なんだ」

という世界観に縛られて、たぶん疑わずにはいられない。

黒人の青年も、母親に愛している、と言われて、

実際愛されているにもかかわらず、

「母が再婚して赤ん坊も生まれ、幸せな家庭をやっと築いた家で、

私生児で酒を飲んで、出来の悪い自分は嫌がられて、

邪魔もの扱いされてるに違いない。絶対にそうだ」

という世界観を、なんとしても譲らないで、

オレはなんてかわいそうなやつなんだ!という感じになっていた。

自分は子どもの頃、家が貧しいとか、

親から捨てられたとかはないにもかかわらず、むしろ愛されて、

親戚とかからはかなり可愛いがられてもいたにもかかわらず、

何か、漠然とした不幸感、不遇感、疎外感、分離感、

幸せや喜びをもたらす、

何かが決定的に欠けている感、孤児院にいた女の子みたいに、

自分はずっとこのまま死ぬまで不幸なんじゃないかという恐怖があった。

子どもの頃のあるとき、

自分より友達が多くて、面白いことを言ってウケをとる

センスが良かった、

仲が良かった男の子に、

「◯◯くんは友達が多くていいよね。女の子も気軽に話しかけてくるし」

と言った。

本心から、羨ましかった。

その子は誰からも気軽に話しかけられる、友達が多い男の子だったけど、

自分は友達を増やしたりするのが極度に苦手だった。

するとその子は、「いや、◯◯くんのほうが幸せやろ!」

と、おまえ何言ってんだ、みたいな感じで怒ったように言ってきた。

それを聞いて、

「自分は怖くて女の子にも話しかけられないのに、

親しい友達が多いそっちのが幸せに決まってるだろ」

と思ったけど、その子はその子で、

不遇感があったのか。お互いに、他人の芝は青いという感じで、

「相手のほうが恵まれてる。いいよなぁ、こいつは」

と思ってたのかもしれない。

デイビッドが、物理的な家や家族に恵まれていても、

分離を信じていたら全員ホームレスだ、と言ってたけど、

親が生きていても、家族が友人に恵まれていても、

分離を信じていたら孤児なのか。

まさに子どもの頃は、実家にいても、

何か本当の我が家にいるわけじゃない、疎外感、孤独感を感じることがあった。

つながりを感じる、我が家に帰ってきた感、ほっとした暖かい感じがない、疎外感だった。

コースをはじめて、みんな同じなんだ、

というのがだんだんと実感されてきて、やっと疎外感が減ってきた。

それで、自分が待ち望んでいたのはまさにこれ、この同じ感、

つながり感なんだ、とわかった。

やっと我が家に帰ってきた感。