呼んでいる胸のどこか奥で

2016年から奇跡講座を学んでいます。デイビッドはDavid Hoffmeister氏で、ワプニック博士はKenneth Wapnick博士てす。MWGEはコース学習者のための映画紹介サイトhttps://mwge.org/ です。

今 敏(こん さとし)の遺言記事「さようなら」とのりこさんの動画

https://konstone.s-kon.net/modules/notebook/archives/565

前にも書いたけど、学生の頃、アニメや漫画業界への憧れもあって、

一時期アニメーターや漫画家とかの記事を夢中で読み漁ってた。

一番、記憶に残ってるのは、

2010年に突然ガンが発覚して、余命半年と宣告され、3か月後に

40代で亡くなった映画監督 今 敏

亡くなる寸前に書かれたブログだった。

最近、映画リトリートとかで、

「優秀で地位があり、ひたすら仕事に夢中だった人が突然、

寿命があとわずかになり、絶望に叩き落とされるも、

自分の人生を改めて見つめ直す」

という感じの作品をいくつも連続して見ていて、

なんとなく、何年も前に見た今敏のブログのことが思い出されて

なんか気になり、久しぶりにまた見てみたら、

記憶よりはるかにすごかった。

読むのは何度目かなのに、泣いた。全ての文章に、感動しかなかった。

ストーリーに偽りの共感をしたかもしれないけど。

思えば、これもひとつの今敏が主人公の映画作品なのか。

ぷろおご氏の「ちゃんと絶望しろ」を思い出した。

あとライラの動画https://youtu.be/cfoDjaVrElAを思い出した。

今敏監督のアニメ作品は、マトリックスインセプションみたいに、

夢や仮想現実とか、個人の心の闇とか、深層心理に迫るような、

しかもクオリティが非常に高い作品が多い。

だから学生の頃から今も大好きだけど、

スタッフたちの膨大な努力をかけて作られた今敏の作品より、

正直、この「さようなら」の記事のほうが心に刺さったし、

衝撃的だった。

今さんが亡くなるしばらく前に、

幽体離脱?した臨死体験のことまで書いてあった。

医療の現場にいる人からすれば、珍しくない話なのかもしれないけど。

以下は記事の冒頭の引用。

『忘れもしない今年の5月18日。
武蔵野赤十字病院循環器科の医師から次のような宣告を受けた。
膵臓ガン末期、骨の随所に転移あり。余命長くて半年」
妻と二人で聞いた。二人の腕だけでは受け止められないほど、唐突で理不尽な運命だった。
普段から心底思ってはいた。
「いつ死んでも仕方ない」
とはいえあまりに突然だった。』

はじめてこの記事を自分が読んだとき、ショックと、

よりによって不運な、もったいない、

という感じだった。

押井守みたいに思想的で面白い、世界観重視の、

ジブリみたいにはヒットしないけど、

「虚構と現実」みたいなテーマで作品を作る貴重な、

才能も情熱にも非常に恵まれた人が、

よりによって、映画を作る途中で、あっという間に亡くなる。

しかもその映画は『夢見る機械』という、

またいかにも面白そうな、

コース学習者が好みそうな名作の匂いがプンプンする題名の作品だった。

多くのファンや周りの人が心底、

悲しさや残念さを感じていたはずだけど、

一番残念なのは本人だった。

キャリアをまだ終わらせたくない。

まだやりたい仕事がたくさんあるのに。

『宣告の後、生き延びるための方法を妻と模索してきた。

それこそ必死だ

-中略-

現代医療の主流派の裏にどんなカラクリがあるのかもあれこれ思い知った。
「自分の選んだ世界観で生き延びてやろうじゃないか!」
しかし。気力だけではままならないのは作品制作とご同様。
病状は確実に進行する日々だった。』

あと、

「死ぬ前に、昔から知ってる人たちに一目会って、話したいけど、

別れの辛さと、

最期に寝たきりでやせ細った自分を見られるのは辛いから、

ほとんどの人には会わないことにした、

会いたい人ほど、みじめな自分の姿で会うのが怖くて、会うのが怖い」

と後の文章にあって、

ひどく共感した。『Sweet November』のサラもそうだったけど、

自分も、大学辞めて、風呂にも入れなかったとき、

誰にも会いたくなかった。自分だけ、うまく行ってない。

みじめすぎる。情けなく、恥ずかしい。

昔から知ってて思い出があり、会いたい人ほど、会いたくない。

今敏の他の以前の記事をためしに見たら、

「自分は才能も能力も根性もあり、成功したが、

ほとんどの才能がない人間にはそもそも無理、夢があっても

逃げだすのが関の山なのを若い連中は思い知れ」

みたいな、かなり傲慢な感じの見下す文章があって、

泣いた感動から一転、なんだコイツ!?たしかに事実そうだし、

厳しくも正しいアドバイスだけど、めちゃくちゃいやな感じの文章だな、

と、なんか見下された気分になったけど、

自分の好きな道で成功して有頂天になっても、

ガンになればあっという間なのか。

今さん本人が、「傲慢な自分を、ガンに免じて許してください」

と書いてたけど、かなり傲慢になれるほど才能があっても、

なんか人生って一瞬で終わる、儚い、あっけない、

まさに夢みたいなもんだな、という実感を、

重たい鉄の扉がダーンと降りてくるように、

目の前に厳然と、情け容赦なく叩きつけられた気分だった。

大学の頃、80歳くらいの祖母に、

「人生って一瞬だった?それとも、長く感じる?」と聞いたら、

祖母は戦中に生まれて厳しい時代を生きたはずなのに、

「一瞬、あっという間だった‼️」と、勢いよく即答した。

テキストのどこかの、「あなたは、世界をいつまでも握りしめていられると思いこんでいるけど、それはあっという間に手からすべり落ちる」

みたいな文章を思い出した。

あとやはり、「全ての世界の道は死に通じる。

ある道では、しばらく楽しく歩くが、遅かれ早かれ、

いばらのトゲにぶつかり、死という最終地点は最初から決まっている」

も思い出した。

今さんが制作スタジオの社長や両親に遅まきながら事情を打ち明け、

「先に逝くことになってしまった、本当に申し訳ない」と、

泣きながら伝えて、みんなお互いに号泣していたというくだりは、

さすがに胸にきた。

どんなに成功して才能があっても、最後は同じなんだよな。

モリーとの火曜日」で、死ぬ間際のモリーが、

「今になって思うのは、大事なのは、キャリアの成功じゃない。

愛と赦しだよ。もっと論文や本を書けばと思って、後悔してたけど、

結局無駄だった」と言ったのを思い出した。

死ぬ間際になると、まるで、

仕事に夢中だったときはすっかり忘れていた、

愛とか感謝を突然思い出したように、

泣きながら、感謝を伝えることしかできなくなる。

いろんな寿命がなくなる系の作品を見て、そういうシーンもあったけど、

本当にあるんだな。

この記事を書きながら、のりこさんの動画https://youtu.be/9S5qlTMkMLYを見ていて、のりこさんが、

「世界は、USBとか、ゲーム機の

ハードディスクに保存されたデータの集まりに過ぎない」

みたいなことを言っていて、

今さんが死ぬほんの間際、遺言のように残した、

今さんの映像の仕事や知的な興味について話した

他の記事https://konstone.s-kon.net/modules/notebook/archives/548

を読んだら、記事の最後に、

『大切なものについて書いていたのに何だかよく分からないことになってきたが、しかし上にあげてきた大半の物は、

どれもみんな今時のパソコン一台のハードディスクに収まってしまうな。
何だ、結局見かけ上はパソコンが大事なだけみたいで、

ガッカリだな(笑)』

とあって、ぞわっときた。

まさに、その通りなのか。

自宅で最期を迎えるために、病院を出るとき、

さまざまな奇跡や、天啓みたいな偶然が重なったとあって、

やっぱりそういうの、あるんだな、と思った。

引用は、中央アート出版『奇跡講座テキスト編』より。