無意識に、やっぱり結果が気になる
デイビッドが、
「具体的な結果を求めるのじゃなくて、
心の平和、喜び、幸せを求めるんだ、心の平和と幸せこそが報酬だ」
と言っているのを、何年も、何度となく聞いたけど、
気がつくと、無意識に自動的に、ブログのPV数が気になってしまう。
誰かと個人的にZoomで話す勇気もない、
自分のブログを見てくれる人がいるということを実感できるのが、
嬉しいというのはある。
こうすけさんに、ブログの感想を聞かせていただいたときも、
正直、本当に嬉しかった。
数字を稼ぐために記事を書いてるわけじゃないけど、
数字に心の状態を左右されてしまう自分もいる。
期待と不安。
ハアー。
個人の手柄にしたいのかな。数字を。
これだけ数字を稼いだ!という達成感なのかな。
それだと、ゲームの世界と変わらない。
でも、「具体的な結果に、どうしても、執着しているらしい自分」
をはっきりと自覚する、というところまでは来た。
その目的は何なのか?
間違った場所で幸せを探し続けて、「探せよ、でも、見つけるな」
なのか。
真理から、自分を遠ざけ続けるために、
PVという、ニンジン🥕を追いかけているのかな。
でもまあ、これ自体が、いい機会ではあるか。
いつも、ジェニーさんや、ディランたちの動画の再生数が、
デイビッドの動画より、少ないのを見て、
「彼らの動画も、本当に助けになる、
素晴らしい価値があることを伝えてるのだから、
”もっと”、たくさんの人に見られてもいいはずなんだけどなあ」
という、不満感をつい感じて、数字をコントロールしたくなり、
「おっと、数字を増やすのは、目的じゃない。心の状態、心の状態」
と思いなおしている。
本当に、「もっと、もっと」と、ニンジン🥕をぶら下げるんだな。
やっぱり、文字にして書くと、客観的に一歩引いて見られるし、
深刻な、「ヤバい、オレエゴの欲求に囚われてるよ」という、
切迫感が一気に減って、気軽に自分の心を見れる。
ある種の、さわやかさ、ひと息つける感じがある。
バイロンケイティの動画とか、
他のいろいろな人たちのシェアを聞いていても、
本人には、大きくて深刻な悩みでも、客観的に見ると、
大したことない、小さな悩みに見えたりする。
これだけでも、デカい。