ブログのカテゴリ分けと、恥や後悔
ブログのカテゴリ分けがスマホでもできるのに最近気づいて、
過去の記事のたぶん8割はカテゴリ分けしたんだけど、
初期の記事は、なんか自分でも触れるのが恥ずかしくて、
カテゴリ分けしたくない。
子どもの頃、自分の下手な絵を友達に見られないように隠してたけど、
自分の稚拙さ、恥ずかしい未熟さを目の当たりにするような
予感がある感じで、やはり過去の記事は見たくない。
宮崎駿監督が、「自分の監督した作品は、完成して納品して、
上映されたら、二度と見たくない。
自分やスタッフで作ったアニメーションの粗や、
失敗したポイントがどうしても気になり、不満や後悔がつのるばかりで、
嫌な気分になり、観客がなんでこんな不完全なものを見て喜ぶのか、
理解に苦しみさえする」
という趣旨のことを言っていた。
カースティンさんが、アフリカの民家リトリートの動画https://youtu.be/kxCN37O9HNM
41:00あたりからの話の中で、
「わたしたちは、形のレベルで、何よりも、
とにかく仕事を終わらせることに集中してしまうけど、
まず今、心の状態が幸せかどうかを確認して、
スピリットにつながることを大切にします。
例えば形のレベルで、
完璧ななリトリートの動画をネットにアップすることは
決してありえないし、
形のレベルでは、問題は解決しても新しい問題があり続けるし、
わたしたちは、むしろその気づきを祝いさえします。
形のレベルの完璧主義を、手放すんです。
それはわたしたちの目的ではないからです。
個人的な責任感から、完璧な形を達成しようという、
姿勢を兄弟の中に感じたら、『ハイ、今、どういう感じがする?』
と聞きます。」
と言っていたのを思い出した。